第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第4節 バルト海貿易とハンザ都市同盟
この節の目次
ヨーロッパの北部でようやくハンザ諸都市の優位が打ち立てられた頃、フランデルンを軸心に、ラインラントからニュルンベルクを経てアルプス山脈東回りに北イタリアにいたる道筋と、シャンパーニュからリヨンを経てアルプス西回りにイタリアに結ぶ道筋が交易の動脈となっていた。はじめはシャンパーニュの諸都市が栄えていた。だが、ヴェネツィアの覇権が確立されるや、ブレンナー峠越え(アルプス東回り)のドイツの街道と諸都市が興隆し、西回りの経路は衰退していった。ヨーロッパ全体を見ると、いまだ地中海貿易圏の優位は動かなかったようだ。
⇒中世後期のヨーロッパ世界貿易システム図説
ヨーロッパ大陸における都市と商業資本の権力の絡みあいと広がりは、山脈地形にたとえると立体的に理解しやすいかもしれない。
14~16世紀のヨーロッパには、傑出した諸都市を頂点とするインタリージョナルな経済的山脈が形成されていた。最も高い山脈がヴェネツィアを首座としてジェノヴァ、ミラノなどの秀峰に連なる北イタリアの連峰で、中部ヨーロッパ、ラインラントを経てフランデルンまで稜線を伸ばしていた。フランデルンにはまずガン、ブリュージュ、イープルなど、次いでアントワープを頂点とする山脈が隆起してきていた。バルト海沿岸にはリューベックを主峰とする山脈が、ハンブルク、ブレーメンを引き連れて、これまたケルン、ニュルンベルクなどの秀峰に尾根を引いていた。シャンパーニュ地方の諸都市の山脈はしだいに侵食されていたが、リヨンを中心とする金融山脈がしだいに上昇し、フランデルンに稜線を伸ばしていた。
リヨンを支配するのは北イタリアのジェノヴァとフィレンツェで、その影響力はイベリア半島のバルセローナやセビーリャ、リスボンにまでおよんでいた。さて、バルト海・東欧地域では、シュテティン、ダンツィヒ(グダンスク)、リーガ、エルビングなどの港湾都市と、ブレスラウ、ライプツィヒ、フランクフルト(オーデル河畔)、ヴロツワフ、クラクフ(クラカウ)などの内陸都市の成長が目を引く。そして、ハンザと結びついた中欧・東欧の内陸諸都市フランクフルト、ブレスラウ、プラーハは、ライン河とドーナウ河上流の諸都市バーゼル、チューリヒ、ニュルンベルク、アウクスブルクを経由して、ヴェネツィアまで連絡していた。これらの都市の相対的地位は状況の変化で簡単に上下した。
これらの都市は、生成期の世界都市 Weltstadt / cosmopolis / ville-mondeであって、世界貿易に直接向き合いながらも、その経済的再生産における頭抜けた力によって周囲の中小諸都市を引きつけ、統制・支配していた。諸都市のあいだの関係は、ヨーロッパ各地の商業資本のあいだの垂直的分業=支配・従属関係を意味していた。
諸都市の内部および諸都市を横断して編成された住民の階級構造=社会的分業の体系を概観してみよう。
ピュラミッドの頂点に立つのは、同じ仲介商業でも遠距離貿易(世界貿易)を組織している商人集団と彼らが牛耳っている都市団体で、そのなかでも、各地の王室や君侯の財政装置と結びついた遠距離金融を営む集団は独特の権力を保有していた。
遠距離商人の次に位置するのが、有力諸都市の卸売商人の集団で、彼らは各地の都市を拠点として市域内と周辺の地場製造業――これは付加価値生産性の高い仕上げ工程を握る製造業、たとえばフランデルンの毛織物やラインラントや中欧の金属製品・ガラス製品製造――を支配していた。彼らは、製造業のための原材料・素材や半製品を在地で扱う商人たちでもあって、遠隔地からの原材料や半製品を遠距離商人から提供されながら、自らの手で収集した製品を遠距離商人に引渡す役割を割り当てられていて、遠距離商人による強い支配・統制を受けていた。
ほぼ同じ階梯だがやや下の地位を享受していたのが、遠距離の卸売商人から商品を仕入れて拠点都市やその周囲で小売商人に売りさばく中小都市の卸売商人で、彼らは商品種目(品目群)ごとに団体を組織していた。しかし、彼らといえども拠点都市では市政を壟断し、都市の商工業施設の大半を所有していた。ここまでが商業資本のブロックを構成する面々だった。
彼らは工房の親方たち、つまりツンフトの上に立っていた。ここまでが、都市の支配階級で都市貴族と呼ばれる者たちもいた。彼らのなかには騎士出身の名望家系のメンバーで、農村に土地を所有しながら商業を営む者たちもいた。
各都市のなかでは、彼らを最上層とする権力構造が形づくられていた。何人もの職人を指揮統制する工房の親方たちとその組合も、卸売商人層に従属していた。ツンフトは、やがて卸売商人に代わって、自ら工程手順や品質管理をめぐる統制=規制を担うようになっていく。それは、生産工程への商人の直接的な統制=支配から抜け出る方途でもあったが、商人業務の下請けともいえる。だが、彼らの下には一般の職人、そしてさらに下の徒弟たちがいた。
これに対して主として奢侈品生産や高度な技能が必要な工芸品や美術品、建築などを扱い、独自の意匠やブランドを保有して、自ら商人を兼ねている親方は、ずっと地位が高かった。なかには、有力商人と同じ格付けで都市の参事会に席を占めていたり、政庁の役職を持ったりする者も多かった。
だが、都市人口のほとんど、あるいは圧倒的多数は、それよりもずっと下の階級・身分に属していた。富裕商人が所有する市街の店舗や市場での露店や空き場所を借り、卸元から商品を仕入れて小売販売する商人たち、さらに下層に位置する担い売り商人たちは、実際のところ小売業にたずさわる労働者、商業プロレタリアートだった。
こうした全体図を抑えたうえで、ハンザが取り仕切ったヨーロッパ的規模での交易網と分業体系を見てみよう。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成