第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第2節 地中海世界貿易とイタリア都市国家群
この節の目次
14世紀末から15世紀半ばまでは、地中海貿易圏におけるヴェネツィアの優位を維持するうえで、その通商組織と軍事的・政治的装置がいかなる競争相手よりも効果的に機能していた。それは、ヴェネツィアの領土拡張の成功や支配する貿易拠点の増大に現れた。
むしろ、戦略的には――貿易と金融での地位から見て――優位に立っていたジェーノヴァが、深刻な政府財政の危機に見舞われ、市域内では止めどのない紛争が続いた。ミラーノでも、領土拡張を推し進めていたミラーノ公ガレアッツォ・ヴィスコンティが1402年に死去し、公位継承をめぐって混乱が生じていた。この機に乗じて、ヴェネツィアはフィレンツェと同盟してロンバルディーア方面に軍事介入し、内陸への領土拡張を画策した。その結果、ヴェネツィアは1405年から29年までに内陸の広大な領土を征服した〔cf. Mcneill〕。
さらにハンガリーからダルマティアを奪回し、バルカンからエーゲ海にいたる地帯で、ドゥラツォ、コルフ、アルゴス、コリント、サロニカなどを獲得した。しかも、オスマントゥルコの勢力膨張に直面したレヴァントやバルカン諸地方の支配層は、トゥルコへの従属よりもヴェネツィアの宗主権を受容する道を選択したため、ヴェネツィアの影響力は拡大した。
ハンガリー王権、ビザンティンのギリシア帝権、オーストリア王権、ナーポリ王権はもちろん、それらから自立していた多くの弱小な地方権力は、なおのこと強くオスマントゥルコの圧迫を受けていた。彼らの財政収入も軍事的・政治的安全も、ヴェネツィアの通商的および軍事的・政治的組織に依存していた。
だがそれは、ヴェネツィアにとって守るべき戦線の拡大でもあり、その結果、貿易システムの防衛・維持のリスクとコストが上昇していくことになった。地中海各地に散在する交易拠点を守る陸上兵員と艦隊の規模は増大し、それに照応して膨張した兵站・補給体系の維持管理の費用も膨張した。肥大化したヴェネツィア政府の運営費用、政庁の行政人員の給与や都市の食糧調達への財政的手当てなどのために、より多くの財源が必要だった。
たしかにヴェネツィア政府の運営は、ヨーロッパのどこよりも効率化されていた。会計に熟達した書記たちは、商業の会計規則に準拠して帳簿に記録し、行政官たちは、財政的な許容範囲内で活動する慣行をもっていた。それにしても、莫大な収入が必要だったから、ヴェネツィアの税は重く、とくに属領では抑圧的とさえいえるほどだった。
そのため、14世紀中頃、クレタ島では、増税政策に対して在地支配階級の反乱が起きた。ヴェネツィア人領主層が土着化して、ギリシア人貴族と融合していたからだった。ヴェネツィア本国は、傭兵軍を派遣して反乱を鎮圧した。それ以後、レヴァントとクレタの海外領土は、傭兵からなる専門の常駐軍によって防衛されるようになった〔cf. Mcneil〕。それもまた軍事費の増大要因だった。
とくにキオッジャの戦いで費やされた軍事費は巨額にのぼり、14世紀末には公債の償還ができなくなったため、ヴェネツィア政府は直接税の収入で財政を支えるようになった。公債という形態で政府に集めた資金を償還する方式だけでは、戦争など緊急時の財政運営が不可能になったのだ。そのため15世紀半ば以降は直接税が恒常化していった。
1463年に政庁は、都市の不動産や市民が大陸領土terra fermaに所有する土地について資産調査をおこなった。その査定にもとづき、資産によって得られる各市民の年収から一定の税率で直接税を徴収するようになった。資産税の課税率は、戦費など緊急事態に対応する政府の財政的必要に応じて上げ下げできた。一方、政府の経常費用は、主に間接税でまかなわれることになった〔cf. Mcneill〕。
直接税と間接税は海外領土でも徴収され、中央政府によって管理された。植民地の総督や司令官は、財政収支記録の作成を義務づけられ、税収入は本土政庁から承認された現地の支出を差し引いて本土に送られた。こうして、ヴェネツィアの貿易圏全体にわたって、統治機構をつうじて経済的剰余の再分配システムが大規模に組織されていた。
諸都市が国家を形成して貿易での優位を争う地中海世界はまた、都市に蓄積された富を羨望し、通商利権への介入をねらう王国や公国などに取り囲まれていた。イタリア都市国家の政府には、多数の交易拠点に軍隊や艦隊を派遣して通商をめぐる利権を守るために、財政収入を獲得し分配する仕組みが必要であり、また、中央政府が各地の拠点に対して集権的な統制を組織するために、国家としての凝集を維持すること、とりわけ統治階級の政治的結集が不可欠になっていた。
14世紀から15世紀にかけて、このような必要条件を満たしているのはヴェネツィアだけだった。
ほかの北イタリア諸都市では、たしかに権力の集中は進んだが、しだいに西ヨーロッパで成長してきた強力な諸王権、フランスとエスパーニャの勢力争いの影響を受けるようになっていった。このような巨大な権力の前では、都市国家のスケールは小さすぎた。そこで、イタリアの都市商業資本の多くは、軍事的・政治的にはそれら有力諸王権に従属しながら、諸王権が組織しつつある統治秩序を巧みに利用してイベリアや北西ヨーロッパ、フランスの経済に浸透していく道を選び取ったようだ。
というよりも、ネーデルラント方面へのヨーロッパの経済的重心の移動という文脈のなかでは、貧弱な軍事的・政治的力量しかないイタリア諸都市の商人ブロックには、生き残るためにはそれしか選択の余地がなかった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章 ― 1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章 ― 2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
補章 ― 3
ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初頭
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成