第2章 商業資本=都市の成長と支配秩序
第2節 地中海世界貿易とイタリア都市国家群
この節の目次
ところでジェーノヴァやフィレンツェの商業資本は、イタリア本領での政治的混乱を尻目に域外――とりわけイベリアや北西ヨーロッパ――での経済活動に拡散していった。当面、都市国家の力は低下するにもかかわらず、域外でジェーノヴァやフィレンツェの金融商人の影響力は増大していくことになった。
とくにエスパーニャとポルトゥガルの王権にはジェーノヴァ資本の諸分派がすでに浸透していたので、それらが大西洋方面に権益を広げ、海外領土を拡張していくにしたがって、それらの王室財政と貿易機構に絡みついて富と権力を蓄積していった。
そのエスパーニャ王権はネーデルラント方面を支配し、フランデルン諸都市と政治的・財政的に濃密に結びついていた。その地域は、北西ヨーロッパおよび北海=バルト海貿易の中心地で商工業の発達が目ざましかった。北イタリア諸都市の商人たちはフランデルンでの取引を活発化させていくことになった。
したがって、ジェーノヴァは地中海の西部とイベリア半島、そしてネーデルラントや大西洋に貿易組織と金融の重心を移していったことになる。それは、地中海東部での権益と交易拠点の喪失に対応していた。
地中海貿易圏は大西洋やイベリア半島、ヨーロッパ内陸交通をつうじて、北西ヨーロッパ・バルト海貿易圏と融合しつつあった。ゆえに、レヴァントや地中海東部でのヴェネツィア勢力の優位は、ヨーロッパ世界貿易の成長という文脈ではいささか割引いて見ておかなければならない。つまり、ヨーロッパ全体のなかでの地位は相対的に低下していたということだ。
イタリア諸都市の政策転換を余儀なくする状況が、地中海貿易体系のなかで生じていた。それはまた、地中海貿易圏がほか――バルト海貿易圏や大西洋岸、ドイツ・東ヨーロッパ内陸など――の遠距離貿易圏と融合することでヨーロッパ世界市場が出現してきたこととも関連していた。
危機の位相の最たるものは、ジェーノヴァ人によってあれほど巧妙に組織された明礬貿易が1460年に崩壊したことだった。その原因は1つには、西ヨーロッパで新鉱山が開発されたためだった。2つ目の原因は、オスマントゥルコのスルタンが小アジアから輸出される明礬に重税をかけてレヴァント産明礬の価格が高騰し、価格競争力が失われたためだった。
また、ぶどう酒用の上質のぶどう栽培がレヴァントからクレタ島に、さらにアンダルシーア、ポルトゥガル、マデイラ諸島に移植されたため、東方産のぶどう酒貿易は前ほど振るわなくなってきた。膨張する市場での占有率が低下したのだ。また、さとうきびと砂糖の栽培も同じ道をたどり、ついには大西洋の諸島を越えてブラジルに達した。
養蚕と絹織物生産もバルカンから北イタリア、さらにはフランスへと伝播した。また、レヴァントからの中国産絹の輸出の衰退は、インド産木綿の輸出によって補われた。その後、木綿は14、15世紀のヨーロッパの織布工業にとってますます重要になっていった〔cf. Mcneill〕。とはいえ、全体として地中海東部での貿易は管理手法が複雑化したのは確かだった。
こうして、地中海世界貿易のなかで取り扱う商品が変化し、同じ商品でも生産地が移動した。これは、通商でのリスクとコストの管理をさらに面倒にした。遠距離貿易でのかつての成功者たちは、蓄えた資本を土地経営や内外の諸政府への貸付け、宮廷財政などと絡む遠距離金融、そして有力王室や有力君侯相手の特殊な奢侈品貿易などに投下するようになった。
大きな貿易圏が融合しつつあるヨーロッパでは、貨幣(貴金属)の流通量が急速に膨張していたから、金融部面への投資の方が見返りは大きいと判断したからだ。というのも、彼らはすでに財力を土台に、ヨーロッパの有力王権や君侯に接近し、巨額の財政支援――融資や賦課・税の運上――をつうじて通商上、金融財政上の特権を獲得していたからだ。だが、一面でそれは投機であって、失敗すれば大きな痛手をこうむる大バクチ(the
investment of high-risk and high-return)だった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章 ― 1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章 ― 2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
補章 ― 3
ヨーロッパの地政学的構造
――中世から近代初頭
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成