第3章 都市と国家のはざまで
――ネーデルラントの都市と国家形成――
第3節 ネーデルラントの商業資本と国家
この節の目次
諸産業に供給すべき生産要因は資本、技術、原材料だけではない。労働力も重要な要因であるから、人口構造の動態と関連させて産業構造を見ておこう。
すでに見たように、独立闘争の時期における南部から北部ネーデルラントへの大規模な人口の移動、とくに職人と商人の移住が、生産技術の上昇や経営資源の集積、熟練労働力の供給に役立ったことは間違いない。人口移動が資本や商業技術、経営手法、生産技術の移動であることは言うまでもない。16世紀末には、ことにアントウェルペンからの移民がアムステルダムやレイデンに住みついた。
こうした人口流入も大きな要因となった人口増加の結果、1620年頃には、連邦人口の60%は都市住民で、その4分の3までは人口1万以上の都市に住んでいた。職人や商人の移住者も多かったが、他方でスラム街に住みついたプロレタリア大衆として貧民層を構成する人口も夥しかった。
なかでも女性や児童は低賃金労働力の群れのなかに放り込まれていき、半端な補助労働や未熟練作業の賃金水準をさらに押し下げた。それでも、産業が成長する地域には、行く当てのない多数の貧民や浮浪者、放浪者が生きる糧を求めて流れ込んだ。ネーデルラントの磁場は、有力商人はいうまでもなく、熟練職人から最下層のプロレタリアートにまでおよぶ労働力を引き寄せていたのだ。
製造業の経営組織を見ると、主要産業では、16世紀末から17世紀初頭には生産の主軸が、零細な職人工房での家内工業から大規模マニュファクチャー経営や前貸問屋制による農村手工業に移行していった。これは、商業資本による生産過程・製造工程への支配の拡大と見ることができる。こうして、商業資本は、その支配のもとにネーデルラントの諸産業を統合し、需要と供給の緊密な域内連鎖を組織し、さらに世界貿易によって域外諸地域の諸産業を域内商工業に従属させたのである。
16世紀後半から17世紀後半までネーデルラントが著しい経済成長を達成して世界経済で最優位を獲得した要因について、ウォーラーステインは、次のように指摘している。
ネーデルラントが「世界で最初に持続的成長を達成した国」なのだとすれば、その主な要因は・・・ネーデルラント以外のいかなる国も、これほど集中した、凝集性のある、統合された農業=工業生産複合体をつくりあげることができなかったということ・・・
農業部門では、高度の技術を要する農産物の生産に特化して高い利潤を上げ、工業部門では、当時の2大産業である羊毛繊維産業と造船業で優位を保ち、他の諸産業でも主要な、ときには圧倒的な役割を果たしていた。ネーデルラント連邦が、その商業ネットワークを確立し、自ら「世界の倉庫」になることができたのは、ほかならぬこの高い生産効率を基礎としてのことだった〔cf. Wallerstein04〕。
商業資本そのものの強さについて考察しよう。ネーデルラントのヨーロッパ世界経済でのヘゲモニーは、北西ヨーロッパを中核とする世界貿易ネットワークの組織化・運営能力によって獲得された。貿易の組織化・運営能力とは、つまりヨーロッパ的規模で原料の調達と製造業への供給、食糧の調達と供給を組織し、工業製品および農産物の販売経路のネットワークを張りめぐらせ、自国を中心に各地の諸産業の連結関係を組織する能力である。この組織・運営能力の土台となったのは、バルト海および北海貿易・海運における圧倒的な優位だった。バルト海・北海貿易での支配的地位は、ハンザとの通商競争をつうじて獲得された。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成