第3章 都市と国家のはざまで
――ネーデルラントの都市と国家形成――
第3節 ネーデルラントの商業資本と国家
この節の目次
ヨーロッパ大陸内部における物流を担う物質的な交通手段、輸送システムも、アムステルダムの最優位を基礎固めするかのようにつくりあげられていった。
エスパーニャへの反乱のなかで1572年にスヘルデ河を封鎖することによって、ネーデルラント北部は結果的にアントウェルペンから船舶交易の優位を奪い取った。ヨーロッパの船舶は戦乱を避けてネーデルラント北部の港湾、とりわけアムステルダムに集まってきた。
港湾・埠頭の施設は拡充された。船荷の積み下ろしのためのクレインや保管用倉庫が増設され、宿泊施設も増加した。ひとたび物流の集積や中継・保管のための設備群=インフラストラクチャーが整備され、貿易港としての機能の集積による優位を獲得すると、その利便を利用する商人や海運業者がヨーロッパ各地からアムステルダムに集中するようになった。
膨大な商品の集散のために、北部諸州では、1580年代から運河交通体系が改良され、ホラント州およびネーデルラント全域の諸都市がアムステルダムを中軸とする運輸経路に結び合わされていった。1633年以降は、大規模な資本を投下して、客船用の曳航用道路――運河沿いに船を引く馬が通る側道――がついた直線運河 Trekvaart の体系を建設した〔cf. Braudel〕。水位の異なる運河や河川を結びつけて船を通す閘門も開発された。そして、河川湖沼など内陸水系での輸送のための船舶を開発・運用した。
アムステルダム市内の運河:
同心円状あるいは放射状に建設された運河
運河沿いの景観
道路建設の技術が貧弱だった――ヨーロッパのほとんどの道路は狭く、でこぼこで舗装もなかった――ので、船による輸送は、舗装道路しか走ることができない荷馬車による輸送よりもはるかに効率的で、より速くより多くの貨物・人員を運ぶことができた。
ネーデルラントは海運だけでなく、ヨーロッパ内陸の主要な通商経路も掌握していった。その域内から発する貿易・物流経路は、運河や河川、街道を結んでライン河沿いにアルプスの峠超えにイタリアまでおよび、また東方へはライプツィヒ(オーデル河畔)、フランクフルト、ブレスラウにまでいたり、さらにポーランド(クラカウ、ワルシャワ)にまで通じていた。そして、バルト海航路でスカンディナヴィア諸国やロシアの市場にまでつながっていた。
こうして、世界都市アムステルダムを中心とするヨーロッパで最も効率の高い国内輸送システムを築き上げた。このシステムは、航路や運河、陸路をつうじてヨーロッパ全体に結びつけられていた。しかも、穀物貿易をきっかけに取り込んだ地中海ルートをつうじて、レヴァント、イスタンブールまでネーデルラント商人は浸透した。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成
第3節
ネーデルラントの商業資本と国家
――経済的・政治的凝集とヘゲモニー