第4章 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
この章の目次
J.H.エリオットによれば、レコンキスタは①軍事的征服運動であり、②住民の移動、植民運動であり、③キリスト教がイスラム教を駆逐するという宗教運動(異教徒討伐=十字軍運動)であるという3つの側面をもち、このことがエスパーニャ、とりわけカスティーリャの社会に深い影響を刻印したという〔cf. Eliott〕。
キリスト教諸侯による領地の軍事的征服・支配地の拡大とともに王権と王国の統治構造が形成されていったが、この征服戦争に参加する戦士=貴族には大きな個人的イニシアティヴを発揮する余地が与えられた。獲得した領土は広大で荒蕪地・無住地が多かったため、開墾と耕作には大きな困難がともなったので、王権は領土を大きなブロックに分け、それを騎士修道会
orden militar de caballieria 、教会、貴族に分配して統治を委ねざるをえなかった。ゆえに、13世紀までには広大な大所領
latifundio を所有する有力貴族や国王役人、騎士修道会(宗教騎士団)が自立的な支配圏域を形成した。大所領の内部では、有力貴族の家臣としての騎士たちが所領
hencomienda を支配・経営していた。都市やブルジョワジーはいまだ幼弱で、彼らに対抗できる力を備えていなかった。大貴族はやがて王権による統合にとって大きな阻害要因になっていった〔cf. Eliott〕。
レコンキスタによって諸王国が形成されたことによって、ここでは地方領主諸侯の地位と権力――言いかえれば王権との関係――が特異な構造をもつことになった。
イスラム勢力と対峙する前線を担う地方領主には、軍事的征服や支配=軍政の必要から――兵站補給体系の構築、そして軍事的支配地の迅速な拡大と統治=軍政レジームのいち早い確立のために――きわめて大きな自立性が与えられることになった。新たな領地では征服・占領をおこない統治レジームの樹立を達成した領主たちには、大きな既得権が認められることになった。
他方で、王権としては強大な軍事力を持ち分立的に振る舞う有力地方貴族を王権の周囲に引き寄せるために、彼らに宮廷ならびに王権で高い地位を与え大きな特権や権限を認めることになった。そのため、有力貴族たちが自らの利害に沿って王室の運営――王位の継承や王族の婚姻、王領地の統治・課税など――をめぐって介入する政治構造がもたらされた。
このような状況が、一見矛盾する王権の権力構造を生み出すことになった。すなわち、王権=宮廷の周囲に巨大な軍事力を備えた大貴族層が結集しているために、軍事的に強固に結集した王権のごとき外観を示しながら、実際には王権は地方貴族に対して有効な統制能力を保有できないという構造が。
そのため、カスティーリャ王国でもアラゴン王国でも王の専制統治体制は成立することがなかった。つまり、歴史教科書に記述されているような絶対王政なるものは、スペインの政治的=軍事的環境では成立しようがなかったということになる。
有力貴族の独立性はことにアラゴン王国で顕著だった。またカタルーニャではバルセローナの商人貴族が強い独立性を保持し続けた。
他方で、カスティーリャの再植民運動では、入植者の軍事的貢献に応じて土地と家屋が分与されたため、フロンティアには多数の小土地所有農民が生まれた。なかでも騎士としての装備と軍役奉仕を提供できた上層は地主的経営者層となり、都市を拠点に商業活動を営み富裕化し、あるいは従来からの都市商人層と融合して、在郷騎士
hidalgo / escudero あるいは民衆騎士 caballeros villanos と呼ばれる階級を形成した。彼らは民兵として都市の軍事力の中核をなし、アルカルデ(市長職、参事会代表)
alcalde やフェス(判事職) juez などの市政官職を独占して、都市寡頭支配層を構成した。彼らは、やがて有力貴族層の権力を抑制しようとするカスティーリャ王権の統治組織の中軸を担うようになるはずだった。
ところで、レコンキスタによる支配地の拡大や定住地形成の過程では、新たな征服地への入植のためにつねに人口移動が生じ、民衆の心性としては、定住して地味な農耕――農耕に適した土地が少なかったため、開墾や耕作には大きな苦難がともなっていたから――をするよりも一旗上げるための冒険に価値をおく傾向が強かった〔cf. Eliott〕。
さて、レコンキスタのなかで都市は独特の位置づけを与えられていた。人口希薄な辺境にあって防衛と入植の拠点として新たに都市集落を建設することもあったが、既存の都市を征服し、軍事的征服運動の拠点として城塞都市を確保することが多かった〔cf. Eliott〕。それも、たいていは長期の包囲戦による兵糧攻めによって降伏させた。征服した都市では、補給路の確保や防衛は都市の自己責任とされ、そのため、都市には広範な権限(特権)が認められた。市域の統治に関する自治権のほか、食糧の確保や防衛のために周辺の付属地 alfoz の管理権限と農耕や牧畜のための自由な利用を認められた〔cf. Conrad〕。カスティーリャの主要都市の多くは、王権に直属し、税や賦課金の上納と引き換えに、このような特権を享受した。
そして、レコンキスタに人的・物的資源を動員し続けるためには、「モーロ人からの解放」、「異教徒に対する聖戦=十字軍」という宗教観念・意識を民衆に流布し、征服戦争や入植を鼓舞する必要があった。そのため、聖職者の組織が優遇され、支配層のなかでも特権的地位を与えられ大きな影響力をもっていた〔cf. Eliott〕。それゆえまた、王権とローマ教会、教皇庁との独特の関係ができあがった。のちには王権の高官、高位の家臣あるいは有力貴族がローマ教皇になることもあった。やがてエスパーニャの王権は、教皇庁との独特の関係をヨーロッパでの権力闘争に持ち込み利用することになる。他方、民衆のなかには、扇動されれば生活苦や不満が容易に異教徒への敵視、嫉視、差別や迫害につながる素地が広がっていた。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成