第4章 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
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だが、エスパーニャ王室を中心として形成された世界貿易を総体として管理する行財政装置はなかった。アメリカはカスティーリャ王国に直属していたが、地中海と南部イタリアはアラゴン王国に属していて、このアラゴン王国はカタルーニャ、バレンシーアに対して自立的な統治単位としての権利を認めていた。ペリー・アンダースンによると、それぞれの王国や属領の臣民がおこなう通商は、それぞれ別個の統治装置によって管理され、単一のシステムに統合されることがなかったという〔cf. Anderson〕。
カルロスや高官たちの統治観念においては、イベリアのカタルーニャも域外のフランデルンやミラーノ公国も、帝国に属すヨーロッパにおける同格の支配地でしかなかった。王権の権威は、王軍を派遣駐留させているナーポリやミラーノでの方がバルセローナやサラゴーサよりも実質的には強かったという。
何よりも欠けていたのは、カスティーリャの世界貿易網を通じて流入する財貨を域内商業と製造業の成長に向けて還流させる政策だった。このあとで見るように、エスパーニャ域内には見るべきほどの商工業の成長(拡大再生産)として帰結するような資本の蓄積が達成されなかったのだ。それはまた、王権には重商主義的政策の思想も手立てもなかったということを意味するだろう。
とはいえ、エスパーニャの衰退を招き寄せた政策が、ハプスブルク家の王と宮廷メンバーの個人的資質や個性のせいだと見ることもできない。彼らは当時としてはごく通常な政治的意識や観念をもち、彼らの立場であれば普通の判断をしていたにすぎない。神聖ローマ皇帝位が目の前にくれば、力づく金づくで手に入れようとするだろうし、ドイツや中欧で皇帝位を獲得し、イタリアとネーデルラントに君臨し、なおかつイベリアとアメリカの広大な領土を支配する王座も握っている立場であれば、ヨーロッパ諸王権の上に立つ権威を打ち立てようとするのは当然だったのかもしれない。
一方でカスティーリャ域内では、王権に対して特権をかたくなに主張する貴族たちは、皇帝の権威を高めるために王室の軍事高官としてヨーロッパ戦線での軍役奉仕を喜んで引き受けた。彼らはおおむねすぐれた軍人だった。貴族たちの軍事的資質や好戦的気分を対外膨張政策に振り向ければこそ、自己利益を主張しがちなカスティーリャ貴族たちを王権に引き寄せておくことができたとあれば、なおさらのことだ。
そして、エスパーニャ域外でのエスパーニャ王軍の軍事的能力や凝集力の飛び抜けた大きさが、域内では危機要因をはらむほどに分裂的で凝集性を欠如させていることによる脆弱性を補ったうえに、エスパーニャ王権の強さという幻想をかき立てたのではなかろうか。なにしろこの幻想は、現在でさえも多くの歴史研究者を呪縛しているのだから。
イングランドやネーデルラントの支配者も目先の利益に拘束されて行動していたし、彼らの認識や判断の方が正しかったということでもない。
というわけで、フッガー商会のような抜け目のない大金融家やジェーノヴァ商人もまた、ハプスブルク王朝の権力に期待し、その支配する諸地域から得る財政収入の大きさを信じればこそ、巨額の融資を――返済のリスクが高くなるにつれて利率を上げ、返済期限を短くしたが――与えたのだ。ハプスブルク家エスパーニャ王室金融は恐ろしく利ザヤ(利率)の大きな金融投資だった。だが、リスクの高い投機でもあった。やがて、南ドイツの大金融家門は、エスパーニャ王室の財政破綻とともに破産の淵に飲み込まれることになった。
それはまた、ハプスブルク王室との金融取引という、ヨーロッパの有力商人の誰もが垂涎して望んだ地位を利用して、資本蓄積競争で圧倒的優越を獲得しようとする商業資本=金融資本の本能に忠実な行動だった。短期的利害の最大化をねらって投機に資本を注ぎ込むという。
王室の財政事情、それゆえ王権どうしの戦争の帰趨が、王室財政にリンクした大金融家の財務状況と連動し、したがってまた王権の動きや軍事状況がヨーロッパの金融循環、ひいては景気循環に強い影響を与えるということになっていた。
政府財政と戦争政策の発動にともなう景気変動を、私たち人類は今日まで、数えきれない回数で目の当たりにしてきた――資本の運動法則、資本の論理として。世界経済の動きは政治や軍事を直接的かつ内的な構成要因としているのだ。
ともあれ、以上の文脈で、セルバンテスの風刺物語『ドンキホーテ』が、このときのエスパーニャの時代精神 Zeitgeist を鋭く剔抉していることに驚くほかはない。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成