第4章 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
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14世紀のカスティーリャでは、農業人口の減少と農耕地の放棄の結果、移牧のための牧草地は拡大した。この変化を促進する要因はほかにもあった。おりしも14世紀には、フランデルンをめぐるイングランド王権とフランス王権の戦争のなかでイングランドからの羊毛輸出が抑えられたため、フランデルンでは毛織物工業の原料羊毛の供給が逼迫していた。羊毛は高値で取引きされるようになったため、カスティーリャからフランデルンへの羊毛輸出が拡大した。北イタリアでも高級毛織物製造が発展してきたため、ジェーノヴァ商人が羊毛を買い付けた。
こうして、土地利用における牧羊への傾斜がさらに強まった。有力貴族、教会、宗教騎士団の大所領の多くは移動式牧羊の経営にシフトした。メスタの強大な特権がこのシフトを促進した。だがそれは、フランデルンを頂点とするヨーロッパ分業体系のなかに、付加価値生産性の低い原材料の供給を担うという従属的な地位において、組み込まれたことを意味した。
カスティーリャの羊毛輸出を担ったのは、ブルゴス商人だった。彼らはブルゴスを羊毛の集荷と輸出の主要な拠点とした。ブルゴス商人たちはブリュージュに自治権を認められた居住地を構え、バスコ人海運業者をつうじて、大量の羊毛をビルバオから輸出した。彼らは13世紀後半から、北西ヨーロッパおよびイタリアの諸都市とのあいだに鉄、葡萄酒、蜂蜜、毛皮、乾燥果実、羊毛などの貿易経路を組織していた。とりわけ15世紀にはフランデルン向けの羊毛貿易を拡大した。このほか、カンタブリアやバスコ地方から北西ヨーロッパに向けて輸出されたのは鉄だった。鉄は豊富な鉄鉱石と森林(木炭)、水を使って生産された。1494年、カトリック両王は賦課金と引き換えにブルゴスの商人組合に商事裁判権を与えて商務領事館 consulado を設立させた。この組織は域内外の拠点で活動し、ブルゴス商人仲間の特権保護をはかった。
遠距離貿易と卸売り商業について特権的地位を与えられたブルゴス商人は、カスティーリャの諸地方でメリノ種の羊毛を独占的に買い付け、拠点都市で洗浄、分類、梱包などの工程を行なったのち、カンタブリア沿岸諸港から、フランデルン、イングランド、フランス、北イタリアの諸都市に船荷として送り出した。彼らは、ブリュージュやガン、ロンドン、ブリストル、ルーアン、ナント、ラ・ロシェル、フィレンツェ、ジェーノヴァなどの諸都市に商館や代理店を置き、羊毛の販売と毛織物製品の購入を行なった。
輸入した毛織物は、メディーナ・デル・カンポの大市や独自の卸売りネットワークをつうじてカスティーリャ各地に売りさばいた。だが、ブルゴス商人は、北西ヨーロッパや北イタリアの毛織物業者とメスタを牛耳るカスティーリャの大土地所有者とのあいだの受動的な仲介商業を組織しただけで、毛織物製造への投資には関心を示さなかったようだ。ブルゴス商人の活動によって、エスパーニャにヨーロッパ分業体系のなかでは原料輸出、製品輸入という従属的な役割が固定されていってしまった。それはなぜか。
ブルゴス商人によるフランデルンや北イタリアとの羊毛貿易の成長は、域内羊毛工業にとって良質の原料を利用するチャンスを奪われるということを意味した。地元産の羊毛を原料にトレードやコルドバ、クエンカ、セゴビアなどで毛織物が製造されるようになったが、良質の羊毛は輸出に回されるので、原材料が逼迫し、低質な原材料をしかも高値で手に入れなければならなかった。というのは、幼弱な域内製造業は、輸出量に比べてごくわずかの羊毛需要しかなく、羊毛商人に有利な取引き条件を提示できなかったからだ。
当然、毛織物の品質を上げることも、製品価格を大きく下げることもむずかしかったから、フランデルンから輸入される良質の毛織物と価格競争する条件も乏しかった。輸入されたフランデルン産毛織物には、富裕層向けの高級品だけでなく安価な下級品も含まれていて、域内産品と十分に価格競争できたという。
こうして、製造業にとってブルゴス商業はいくつもの重い障害をもたらしていた。しかし、大規模な羊毛輸出の利害には、商人だけでなくメスタ、つまりは有力貴族や大土地所有階級をはじめ、ブルゴス商人団体から一括して巨額の賦課金を得ることを望む王権が強固に結びついていた。また王室の財務官たちも、メスタから上納される賦課金という目先の収入の維持・増加を欲していた。ゆえに域内工業の保護には手が回らなかった。
他方で、地中海側では、沿岸諸都市に居留するジェーノヴァ人商人によって、羊毛やアンダルシーア産のワインやオリーヴ油、皮革製品がフランデルン、イングランド、イタリアに送られた。ここでも、外来商人によって農産物や原材料にかたよった輸出が組織されていた。
こうした海上貿易にともなう膨大な資金需要に対応して、為替取引き業や両替えなどの金融業が拠点都市で成長した。北部と南部に発達した商業ネットワークが結びつくのは、当然のなりゆきだった。
15世紀をつうじて、アンダルシーア地中海沿岸諸都市とセビーリャ、コルドバ、トレード、ブルゴス、ビルバオ、北部沿岸諸都市――ラコルーニャ、サンタンデール、ビスカーヤなど――およびこれらを結ぶ通商経路がイベリア経済の中軸になった。この流通路に沿って域内やヨーロッパ各地から財貨と商人たちが集散した。その取引きにともなう膨大な貨幣資本の動きに引きつけられて、15世紀後半にはメディーナ・デル・カンポの大市が発展した。街道や宿泊施設が整備され、民衆のサンティアーゴ・デ・コンポステーラへの巡礼も盛んになったという。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成