第4章 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
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レコンキスタの進展とともにエストレマドーラやアンダルシーアの広大な草原を獲得したカスティーリャ王国では、長距離を移動する牧羊業が成長した。人口が希薄で掠奪や襲撃のおそれのあるフロンティアでは、広大な所領を運営するうえでは、開墾や灌漑施設、集落の建設を必要とする農耕よりも牧草地を求めて移動する牧畜のほうが手っ取り早く効率的で安全だったからだ。軍事的征服を指導し支配地を獲得した領主たちは、移動式牧羊の経営を選好しがちだった。
他方、王権としては、軍事的に征服した土地での秩序形成のためには軍事活動と植民、集落建設を管理する貴族の権力を利用する必要があったし、人口の少ない辺境の土地利用という点でも牧羊業を営む貴族の経済力を保護する必要があった。ゆえに、彼らの団体を王権の周囲に組織し、牧羊をめぐる貴族の権益を保護育成することになった。1273年アルフォンソ10世は、長距離移動牧畜業者の協議組織「栄光メスタ評議会 Honrado Consejo de la Mesta 」を設立し、長距離移牧をめぐる特権と裁判権を与えた。権力と特権の見返りに、王室には巨額の賦課金(税)が上納された。牧羊業者は移動のための家畜通行料を評議会に支払うことでメスタの会員になり、メスタの保護を受けることができた。会員はメスタ評議会の総会で議決権を与えられたが、実際には大規模牧羊業者である有力貴族の権益が優越し、役職も彼らが独占した〔cf. 大内〕。
メスタ評議会は王権に直属する統治組織(行財政装置)をなしていた。メスタ評議会の権益を守り、内部の統合や牧羊業者間の利害対立の調停をはかるため、評議会はエントレガードル判事 entregador や牧羊群団判事を置いた。エントレガードル判事は牧羊業者の敵対者を訴追することを職務とし、牧羊群団判事は牧羊群・業者のあいだの係争処理を手がけていた。彼らを統括する最高役職は、王に任命されるエントレガードル大判事で、通常その席にはカスティーリャの大貴族がいすわっていた〔cf. 大内〕。
1343年、アルフォンソ11世はメスタの家畜通行料と牧草地使用料を一括して家畜移動税として徴収させ、王室財政に上納させるようにした。王権はいち早く有力貴族の団体を支配装置に組み込むことができたが、彼らに大きな特権と権益を認めたため、逆に言えば、王権が政治的・財政的に有力貴族によって制約されるという構造ができあがってしまったことになる。レコンキスタをつうじて形成された軍事的集権性の大きな王権ではあったが、主要な支配装置の担い手としては王の直属家臣よりも大貴族の方が有力だった。
少なくとも13世紀までカタルーニャは、支配階級(領主貴族)の法観念では、フランク王国の枠組みに属すものとされていた。12世紀初頭から、バルセローナ伯ラモン・ベレンゲール3世は、ピレネーを越えてプロヴァンスやラングドックに影響力を拡大し、フランク王国における有力君侯の1人として南フランスの領主層や諸都市を統制した。ゆえに、フランクの騎士をカタルーニャのレコンキスタの支援に動員することもできた。その頃、有力な公伯に比べて見劣りのするカペー王権は、パリ周辺のイール・ドゥ・フランス地方やフランキア地方に収縮していた。
ところが、カペー王権は13世紀になると膨張を始め、そのさい教皇がアルヴィジョア十字軍運動をつうじてカペー王権の南部への支配拡大を支援したため、アラゴン王=バルセローナ伯のフランス南部の支配権は徐々に失われていった。そのせいか、アラゴン=カタルーニャ王国は、レコンキスタによってイベリア南部や地中海へ支配地域を拡大することになった。アラゴン王国は1238年にはバレンシーアを征服したが、やはり領土を拡張していたカスティーリャと衝突し、アルミスラ条約で妥協を見た。また、カタルーニャ諸都市・商人の利害関心に沿って地中海への進出を企図するようになった。アラゴン王の軍隊が地中海に展開したという事実のうちに、遠距離貿易を担う有力商人・都市団体と王権との緊密な結びつきを見ることができる。
アラゴン連合王国、ことにカタルーニャでは13―14世紀にバルセローナを中心として遠距離交易を営む都市商業資本が成長した。遠距離商人は、地中海の海運を発達させた。当時の商業船舶は、私掠をも通常業務の一環としていたため、また敵の海賊行為から防御するためにも、武装艦船であったから、船舶輸送・海運の成長は同時に海軍(艦隊)の増強でもあった。その海洋権力を足がかりにして、13世紀には、王権がバレアレス諸島(マジョルカ島)とシチリアにまで支配を広げた。地中海方面への勢力浸透をもくろんでいたアラゴン王ペードロ3世は、シチリア王家と婚姻を結んでいたため、1282年にアンジュー家のシャルル(カペー王権ルイ9世の弟)に対するシチリア民衆の反乱が起こると、反乱派貴族の招請を受けて遠征し王位を獲得した。その後、14世紀前葉までにコルシカ、サルデーニャにまで宗主権をおよぼすようになった。14世紀後半には、一時的だがアテネ公国を領有した。またシチリアの直接統治に乗り出した。こうした政治的状況を背景として、カタルーニャ商人は地中海貿易を拡大していった。
アラゴン王権による地中海の交易拠点の政治的支配を基盤として、バルセローナの商人が中心となってフランス南部、イタリア、ビザンツから小アジアや北アフリカのイスラム諸都市におよぶ交易を組織した。1265年に自治権を与えられたバルセローナで市政を牛耳ったのは、やはり富裕商人層だった。彼らは地中海貿易や金融業をつうじて富を蓄積し、都市の内外の土地を集積した。彼らは都市門閥を形成して市参事会 consejo のメンバーや官職を独占したという。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成