第4章 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折
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諸都市の自立性は、都市行政への王権の介入で切り崩されていった。1480年の総評議会は、王権による都市行政の改革についても同意した。この年、王領内のすべての主要都市にコレヒドールが任命・派遣された。王権は王領を66のコレヒドール管区に分けて、すべての主要都市にコレヒドールを派遣したという〔cf. Eliott〕。
彼らは王室直属の役人で、その職務は地方行政区の行政・司法・財政に関するあらゆる問題を監督し、都市の生活必需品の調達を管理し、治安と秩序の維持に責任をもち、都市の行財政権を侵害する地方有力者(貴族や聖職者)の行動を阻止することだった。コレヒドールは、かつてはレヒドールの補佐役だったが、いまや王令を遵守させるために市参事会とレヒドールの会議を主宰し、アルカルデから司法権を奪い取っていた。いまやコレヒドールは都市の最上級官職で、コレヒドール制は、王権が有力商人層による寡頭制支配を政治的・法的に認知し、それを上から統制するための仕組みだった。
王は、都市の下級貴族・富裕商人であるイダルゴや大学で法学を学んだその子弟をコレヒドール(国王代官)に登用し、王権による都市支配を広げていった。彼らは任期終了後、宮廷で執務について審問にかけられたという。だが、このような王権直属の行政装置を導入できたのは、王領地の都市と王室が特許状を与えた都市だけで、貴族や教会の所領の都市への介入はできなかった〔cf. Eliott〕。
王権は、派遣されるコレヒドールには都市および管区全域の行政・司法・財政権限を与えた。王領地では、従来からの地方総督 aderantado は名誉職化し、その裁判権や行政権もコレヒドールに吸収されていった〔cf. Eliott〕。カスティーリャでは、王領内の都市の自立性はコレヒドールの派遣によって侵食され、王の裁判権と課税権、行政権が浸透した。王権の過剰な収奪から都市と民衆を守る制度はなかったようだ。
王権はコレヒドール制をつうじて都市団体・有力商人層との直接的な結びつきを強め、総評議会の統制を経ることなくさまざまな名目や査定基準で課税し、あるいは恩典と引き換えに金融商人に接近し融資や年金公債への出資を引き出そうとした。15世紀には、カスティーリャからの王室財政への歳入は膨張したが、それだけ、都市の税負担が重くなったわけだ〔cf. Anderson〕。
王領地の裁判制度では、コレヒドールが有力都市で判事となって担当した地方裁判(下級審)の控訴審級を大審院とし、カスティーリャ会議を最終審級とする序列に整備されていった。大審院ははじめのうち巡回裁判制をとっていたが、1489年にバリャドリードに固定され、1505年にはグラナーダにも増設された。国王裁判管区はタホ河を境界に2つに分けられたという。
こうした状況のなかで、成功した商人の多くは、蓄積した富を貿易や商業の持続的な拡大に投下するよりも、官職にともなう貴族・騎士身分や年金公債の購入にあてて、王権からの俸禄や年金、免税特権を享受するようになっていった。商人または商人家系出身のコレヒドール層も、商人身分よりも貴族身分=官職の方が圧倒的に優遇され、権力と名誉を与えられる仕組みのなかで、商人としての立場を捨てて貴族への転身を「人生の成功」とみなすようになっていた。
ゆえに、都市の商業資本はある程度蓄積すると経済的再生産から引き上げられてしまい、高度な凝集性と政治的影響力をもつ富裕商人階級――商業資本の権力ブロック――は成長しなかった。であるがゆえに、大きな富を背景に王権に接近することも、したがってまた域内の商業と製造業を保護育成する機構も創出できなかった。
人口と経済の回復・成長のなかで15世紀末にはレコンキスタが完了し、王権の有力な支配装置・経済装置であるメスタ評議会をめぐる環境も変化した。王権の統治機構の再編は、メスタとの関係にもおよんだ。
15世紀に人口が回復し始めると、食糧生産のために荒蕪地、草原、山地の開墾により農耕地が拡大した。そのため、耕作農民や村落とメスタとの紛争が増えていった。牧草地を囲い込んで定地式牧畜を営む所領が現れ、牧羊の自由な移動を制限することもあった。また、インフレイションにともなう地代の上昇は、牧草地使用料の上昇を引き起こした。
王権の統治と財政にとって重要なメスタをめぐる、このような状況の変化に王権は対応しなければならなかった。エリオットによれば、15世紀末でメスタの会員は約3000人、羊は約300万頭であったというから、メスタから王室財政への上納金は大きな意味をもっていた〔cf. Eliott〕。
15世紀末にカトリック両王は、メスタ組織の裁判権や移動式牧畜に関する特権を再確認、整理し、さらに牧草地利用に関する特権を追加した。1480年の移動式牧畜業者の権利に関する王令によって、メスタについて家畜移動税以外のあらゆる地方的課税を禁止した。89年には牧羊移動路を保護するための特権を与えて、牧羊群の移動に便宜をはかった。91年には、都市や村落の共有地や荒蕪地の囲い込みを禁止し、牧羊業者に移動路の低木や下肢の伐採を許可した。牧草地の賃貸料の上昇傾向に対しては、メスタに有利なはからいを求める法を制定した。
こうした王権による優遇政策は16世紀半ばまで変わらなかった。1500年にはメスタ総裁職を設け、国王顧問会議のメンバーをその職に任命し、顧問会議をつうじてより直接的にメスタの支配と長距離移牧業を統制しようとした〔cf. 大内〕。
王室財政には、牧羊をめぐる有力な貴族団体からの収入としては、メスタからの家畜移動税と宗教騎士団領からの牧草地賃貸料が払い込まれた。長距離移牧と羊毛輸出は、何千もの中小牧羊業者や商人だけでなく、メスタを支配するカスティーリャの大貴族や有力な教会、修道院に大きな収入をもたらしていた〔cf. 大内〕。王権によるメスタの保護優遇は、王室財政の収入を増やしたけれども、聖俗大領主層の経済的地位の安定をはかる政策でもあったから、王権の力の限界あるいは王権がめざした集権化の性質を示していた。
しかし、メスタの保護は域内毛織物産業の成長の芽を摘んでしまった。
15世紀カスティーリャでは毛織物産業が発達してきた。そこで、1438年のマドリガルの評議会では、都市代表からカスティーリャ産羊毛の輸出禁止と域外産毛織物の輸入禁止が提案された。だが、メスタの強硬な反対を受けてファン2世は提案を拒否した。カスティーリャの領主貴族はそれ以後、域内の繊維製造とその販売にたずさわる商人の勢力伸長を阻止しようとして抑圧をおこない暴力的闘争を挑んだという〔cf. Vives〕。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成