第5章 イングランド国民国家の形成
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当時、イングランド全域の統治(王国の統治)に関する費用と王領地統治の費用とは区別されず、総体として王室の財政収入でまかなわれていた。財源は、経常収入が主に王領地からの税や賦課金、裁判収入、一般関税などによるもので、臨時収入は戦争や王室外交のために庶民院の裁可を経て州・都市に割り当てられる税や賦課金、輸出入規制のある商品への関税によるものだった。経常収入は、1486年の1万2千ポンドから1504年には4万ポンドに増大した。
ヘンリー7世は一般関税の収入を増やすため、域外の諸王権と貿易協定を取り結んで貿易取引きを拡大させた。貿易協定には、イングランド貿易商人の地位を強化するために、互恵的に相手王権による地位や権利の確認を盛り込んだ。さらに、冒険商人組合の再編をおこない、イングランド域内でハンザやヴェネツィア商人が取引きを独占する諸地域や品目・業種へのイングランド商人の参入・浸透を支援した。これには、域内商人からの税や賦課金、寄付金の上納がともなっていた。こうして、16世紀初頭までに王室財政が建て直されていった。
ところで、多数の地方行政官=治安判事が無給であること、中央政府の有給官僚がごく少数にとどまったこと、有力貴族の軍事力を解体してしまったため、常備軍は置かなくても域内の平和を維持でき、戦役ではスコットランドとの辺境に派遣した小規模な軍隊で間に合ったことからすると、王室財政の負担は軽くてすみそうなものだった。だが、そうはいかなかった。出費の主な向け先は、宮廷生活での気前のいい浪費、ヨーロッパ大陸での戦役のたびに――諸王権の勢力均衡という理由で――おこなった軍の派遣、利益のあがる航路や海外権益・利権を確保するための船舶の建造と艦隊の派遣などであった。
なかでも宮廷での出費は、軍事的能力を失ったものの、いまだ大きな財政的能力と影響力を保有する地方有力貴族を、中央宮廷に引き寄せて王権に従順な廷臣に変え、彼らを王の政治的競争者の地位から遠ざけるために必要だった。宮廷とその周囲で名誉や威信・名望を獲得し競い合う仕組みをつくり出そうとしたのだ。王と貴族たちは、自らの権威を宮廷での奢侈で競うようになった。彼らは、衣装や装身具、邸宅の建築様式など(これらの集約的表示の場としての宴会)に費用を投じた。このような政治的文脈において、また浪費好きの個性から、ヘンリー8世は先王が蓄えた財宝を取り崩していった。
大陸への出兵は、エスパーニャ王ハプスブルク家とフランス王ヴァロワ家の対抗を主軸にしたヨーロッパ諸王権の勢力均衡状態を維持するために、絶えず要求されたものであった。ヘンリー8世は、イングランドの利害と直接コミットしていなくても、当時のヨーロッパの支配者の共同主観に制約されながら、また幾分かは時代錯誤に陥りながらも、有力な王権=国家としての存在を示すために、大陸への軍隊派遣が必要と判断したようだ。
だが、目的のはっきりしない派兵は、見返りのない不毛な浪費でしかなかった。1513年には、王室の財政支出総額70万ポンドのうち、63万2千ポンドが兵士の給料、武器、艦船などの軍事費に使われたという〔cf.Kennedy〕。軍事費はほとんど庶民院の同意を受けて、特別税などの臨時収入からかろうじてまかなった。ヨーロッパ貿易の中心地であるネーデルラント=フランデルンへの出兵は、イングランドの貿易利権・権益を守るために必要だという説得に、都市と商人団体が渋々応じたものだった。
こうして、先王が王室の金庫に蓄えた資金はあらかた払底してしまった。
そのなかで船舶や艦隊の建造は、王室の出費のなかで将来的に財政的見返りが期待できる数少ない支出先だった。テューダー王権は船舶建造を奨励し、建造奨励金を与える政策を実施した。やがて、100トン以上の新たな船舶の建造のすべてについてトン当たり5シリングの定額給付をおこなう制度に発展した〔cf. Morton〕。イングランド王権では、15世紀末からすでに王室財政主義的政策から重商主義的政策への転換が始まっていたのだ。王権と域内商業資本の利害共同=結託が意識的に追求され、域内商人層が支配統制する貿易をつうじて財貨を国内に蓄積することが政策目標となった。
利益のあがる貿易航路の排他的支配をねらい、競争相手の独占・支配を破壊しようとする《王権=商業資本ブロック》の闘争において、強力な艦隊の保持は、自国の商業組織による海上交易を防衛し、敵対者の海上輸送に打撃を与えるために不可欠な条件となっていた。イングランド商人の海上貿易に最大限の利得を保証し、競争相手の海上貿易に重大な損失・打撃を押し付けるための政策が、航海諸法
Navigation Acts であった。
1485年と1489年の航海法は、イングランドが当事者となっている貿易および制海権を確保している海域を通る海上輸送をイングランドの船舶に限定し、イングランドの港への寄航を義務づけていた。寄港には必ず税の徴収とイングランド籍船舶への船荷の積み換えがともなっていた。これに違反する外国船舶は、イングランド海軍または私掠船によって拿捕されて積荷財貨を没収されるべきものとされた。
「貿易による富の蓄積」の論理は、また、貿易とともに輸出向け生産部門、それもできるだけ付加価値の高い部門の奨励(輸出奨励金)とその保護のための高い輸入関税を導いた。穀物輸出業者への奨励金と保護関税は、穀物農業経営者に有利な買い取り価格と競争力とをともに保証した。事情は、毛織物産業についても同じだった。このような政策は、貿易商人階級、地主階級、農業経営者階級、製造業経営者階級の政治的同盟を基盤にして王権が運営されていたことを示している。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
◆全体目次 章と節◆
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成