第5章 イングランド国民国家の形成
この章の目次
貨幣経済の浸透にともない、やがて王は、指揮官として随行する者を除いて、領主貴族たちに軍役免除税の支払いと引き換えに、大陸領地への遠征を免除し、こうして徴収した富を今度は傭兵による軍備のために使うようになった。一方、領主たちは、直営地を貨幣地代による貸地に変えたり、農民の賦役や貢租を金納方式に切り替えたりすること――地代の金納化
communitation ――によって、領地の経営を貨幣形態=貴金属での富の獲得という目的に沿って再編しようとした。領主たちも、貨幣収入をもとに傭兵を組織・指揮して軍務にあてた。
イングランドでノルマンディ=アンジュー王権の集権化と統治秩序の変革が進められていた頃、大陸では十字軍戦争が始まった。それは、拡大する地中海貿易圏と北西ヨーロッパ貿易圏との融合という文脈を背景にしていた。イングランドの統治体制をひとまず確立した王は、12世紀後半になると、十字軍遠征に加わるようになった。遠征軍を装備するための巨額の費用は、領主や団体からの賦課金や税の徴収によってまかなわれたが、とりわけ諸都市への特許状の販売による収入が大きかった。
この特許状は、王や近隣の領主による恣意的で抑圧的な地代や税の賦課、あるいは不当な義務を免れることを保証し、貢租や上納金をめぐる安定した関係を取り決める制度であった。それは、都市にとっては王や領主貴族への税や上納金の支払いに責任を負う自治団体
corporate body を結成することを意味した。この自治団体は特権をもつ有力商人によって組織され、都市内から租税を集める徴税請負人を統制していた。さらに、特権商人はギルドを結成して商業活動や都市施設の保有や管理の権限を独占し、こうした活動を支配した。統治機関としての都市団体
town corporation は、都市を支配する商人ギルドと融合していた。
交易システムと貨幣経済の浸透は、さしあたっては農村に逆説的な2つの帰結をもたらした。
一方では領主階級による農民支配が強化された。13世紀のイングランドでは、大規模所領をもつ大修道院や大領主がより多く剰余農産物を農民から収奪するために、先進的な農業技術を導入しながら、貨幣地代に代えて直営地での賦役労働を農民に押し付けていく動きがあった。週のうち領主の直営地で賦役農作業に従事する日にちを増やそうと、領主は農民を圧迫した。そして、圃場の統合や灌漑用水路の整備、馬で牽く有輪犂の導入などに投資した。それは領主経営が商品貨幣経済に組み込まれたがゆえの反応であり、所領から上がる剰余生産物の量を増やし、商品流通経路により多くの生産物を送り込むためであった。
絶えざる貨幣流通量の増大にともなって固定的な貨幣地代の実質価値は目減りするのに対し、直営地の賦役労働の管理を強めてより多くの生産物を販売する方が有利だったのだ。先進技術を導入しやすい大所領では、集団的労働の生産性を上げる見通しが立ったからだ。
他方、小規模な、あるいは分散した所領では、村落自体が小規模であるか同じ村内でも耕地ごとに支配する領主が違っていて、生産の集中管理は不可能だったので、農民経営のある程度の自由を前提とした地代の金納化が進んだようだ。この場合には、領主への農民の隷属は弱まっていくが、市場経済の力に翻弄されるようになっていった。
だが、大所領での生産性上昇は市場向け農産物の供給量を高めたため、かえって農産物価格の下落を招き、収入を目減りさせたから、14世紀には賦役労働は再び貨幣地代に戻っていった。領主たちは所領を借地農企業家が借りやすい広さの区画に切り分けて貸し地として、地代収入を獲得しようとした。そして、マニュファクチャーの発展によって、工業製品である農機具を農民が入手しやすくなったため、農業全般の生産性の上昇速度は高まった。
領主は地主として土地を有力な農民に賃貸するようになっていった。農民の自発的な労働による家族経営の方が収益の上昇が期待できたからだ。そして、企業化した農業経営での賃労働の利用が拡大していった。農業部面でも遠距離貿易の発展に対応して、フランデルン向けの羊毛生産が大規模に営まれるようになっていく。それは、羊毛の買い付けや輸送を担う商人企業の発展にも結びついた。
とはいえ、イングランドでの羊毛の生産と集荷は、北イタリア商人やハンザ商人、フランデルン商人の遠距離交易活動に従属していた。イングランドは、ヨーロッパ分業体系のなかでフランデルン織布工業への原材料の供給という従属的役割を割り当てられていたのである。そして、皮革製品や金属製品の輸出入については、ハンザ商人の支配が貫徹していた。
ライン河口とネーデルラントの対岸に位置するイングランド南東部は、早くからフランデルン・北海・バルト海貿易圏に引き込まれたが、そのなかでは北イタリア商人やハンザ商人の優位が再生産される仕組みになっていたのだ。
土地貴族層は、地方で安定した地代収入が保証されれば、あとは宮廷や首都に関心を向け、中央政府の官吏としての報酬や商業への投資からの収益に期待するようになっていった。裁判権などの領主権力が王権によって吸収され、いまや封建的臣従契約にもとづく軍役奉仕義務も貨幣の支払いで免除された貴族は、地主的土地経営者に変貌し、封建領主――分立割拠して生き残り闘争し合う地方領主――としての属性を失い、経済的特権身分として中央政府の官僚になるか、王権の地方的エイジェントになっていく。
王権による軍務への招請には、王室からの報酬に応じて傭兵を雇い、その軍団の指揮者として行動し、報酬から利益を引き出した。こうして、王権と土地貴族層および都市商業資本が利益共同体を形成しやすい条件が用意された。
13世紀末までには、ほとんどの都市が特許状によって領主層による収奪からの自由を獲得した。この自由は、都市を支配する上層商人たちからなる自治団体によって管理・行使された。彼らは貿易または内国商業を営む権利を独占する商人ギルドという身分団体を結成して、都市内でのヘゲモニーブロックを組織していた。彼らは付加価値生産性の高いマニュファクチャーを統制し、都市住民の生活・生産条件を支配していた。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成