第5章 イングランド国民国家の形成
この章の目次
ところで、イングランドが世界貿易での地位を高めるにつれて、中継貿易が増加し、多角的な――数多くの遠隔地点のあいだを結ぶ――取引きの比率が増加した。ゆえに貿易の決済も多角化し、貿易金融も多角化した。貿易金融や貿易保険の制度も整備されていった。イングランド銀行の設立によって、多国間、多地域間の手形割引きや為替決済が可能になったことが、金融・保険制度の世界的規模での組織化を加速した。こうした金融環境に対応して、中継貿易の軸心としてのロンドンはヨーロッパ世界経済の商品集積地となり、そこには世界中から商品が流れ込んでは出ていった。
それにともなって、決済用の資金と多種多様な通貨がロンドンに流入した。クリストファー・ヒルによれば、17世紀末には、抜け目のないディーラーが集まるシティのカフェには、ヨーロッパ諸国家・諸地域の通貨どうしの交換比率 exchange rate (為替相場)を記した表が毎週2回貼り出されたという。多角的な決済機能を果たすシティ・オヴ・ロンドンの銀行家集団を中核として豊富な流動資金の循環が組織されたから、法定利子率は、1620年代まで80年間固定されていた10%から1652年には6%にまで低下し、イングランド銀行設立後、18世紀はじめには5%にまで低下したという〔cf. Hill〕。
ところが利子率の低下は、固定した地代収入や土地収入をもとに金利生活を営んでいた有閑貴族・地主階級に打撃を与えかねなかった。だが他方でそれは、長期かつ低利の借入れを可能にしたから、土地抵当権の設定をより安全にし、有利な融資で借り入れた資金を工場建設や貿易事業、土地改良、農地整備、排水設備建設、干拓事業、運河・道路建設などに向けて投資することが可能になったことを意味した〔cf. Hill〕。つまり、土地利用の多角化を容易にしたうえに、商業や工業、農業への投資の見返りが期待できるようになったのだ。
著しく成長しつつあった金融市場と法定利子の低落は、こうして、土地課税制度の改革と相まって、土地所有階級ならびに土地経営階級に収益の上がる土地利用形態への転換を促進ないし強制するとともに、そのようにして増大した収入を金融市場での投資に回す資産運用とを促迫することになった。それはまた、土地貴族・地主層が投資や金融資産運用の経路を握っている金融資本家たちとの接近・融合への道筋を用意するものでもあった。
このような意味で、市民革命は土地貴族・地主層に――政府組織や貿易・金融と結びつくことによって――経済的地位と政治的影響力をふたたび上昇させるチャンスを提供した。他方でこの過程は、「土地利用の効率化」によって農業での労働力需要を減少させたり、経営の改良のための投資をする余裕のない中小自営農を追いつめたり、あるいは彼らの債務を膨らませたりして、いずれにしろ農民や農業労働者を土地と農村から追い立てることになった。
まさに国民的規模でイングランドの階級関係・階級構造は劇的に転換していくことになった。
イングランド銀行 Govenror and Company of the Bank of England は、シティ・オヴ・ロンドンに本拠を置く多数の銀行(金融家の経営)を結集し統括する権能を政府から与えられた――最も大きな権力を持つ金融家の集団として――金融司令塔のような存在だった。
「ガヴァナー&カンパニー」すなわち「銀行家の組合団体にしてその統括者」というイングランド銀行の正式名称が、如実にそういう構造を表している。
世界史上はじめて出現した近代国民国家の財政構造は、庶民院という「商業資本家の委員会」の監視と統制のもとで、上記のような特殊な金融家団体がイングランド王政国家の財政を、公債発行と見返りに資金を信用貸しすることで運用管理するという仕組みだった。
つまり私的資本家の集合権力が国家を財政面から取り仕切るという構造だった。近代国民国家は、旧来からの貿易の王室独占とも結びつきながら、その誕生当初から「国家独占資本」の権力だったのだ。
こうして、やがて世界的規模での金融循環を統制ないし組織化し、世界的規模での貨幣資本の集積と集中を誘導することになる権力の中心をシティ・オヴ・ロンドンに創設したということだ。
以上で見たように、17世紀イングランドの革命を含めた一連の変動過程は、総体としての国家機構の再編成であった。この再編は、熾烈化したヨーロッパ世界市場競争のなかで国民的ブロック――政治的・軍事的・経済的単位――としてのイングランドが生き残るためには、《王権を頂点とする国家機構》では不適切だったために生じたのだ。新たな国家の行財政装置とそれに連動する金融市場構造は、支配諸階級が紛争と混乱のあげくに選び取った一群の対策の累積的帰結だった。統治階級の内部編成は変動したが、総体としての統治階級は変わらなかった。
生産様式ないし生産諸関係の転換はすでに3世紀以上も前からしだいに始まっていて、いまだに続いていた。そして革命と行財政機構の改革は、生産様式の構造転換を加速した。
ところが、イングランド革命のあとでヨーロッパ諸国家体系――つまりヨーロッパの政治的=軍事的環境――のありようは構造的に変化していった。というのも、革命の結果として飛躍的に強力になった《イングランド国家=商業資本ブロック》が展開した新たな闘争形態に対応して、ヨーロッパ諸国家の軍事政策や貿易政策が変化していかなければならなかったからだった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成