第5章 イングランド国民国家の形成
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ところでイングランドの毛織物製造業は、はじめから貿易商人の強い影響力のもとで育成された。したがって、ほとんどその出発点から、毛織物産業は資本家的経営様式をつうじて形成されたのである。
この製造業が、たとえ製造現場が地方都市や農村に分散する小さな工房からなっていようと、遠隔地貿易市場に向けた1つの産業として大規模に編成されるとなると、総体として膨大な原料の供給経路を組織・掌握し生産方法を統制する能力、広範な販路や市場の開拓のための資金、技術などを保有する織元=卸商人階級の支配を受けることは不可避であった。羊毛生産者も、特定の商業組織のために大量に売るという仕組みに組み込まれていた――それはヨーロッパ全域およぶ社会的分業体系として編成されていた。
こうして、羊毛産業は、原料の調達から多段階の工程に細分化された生産過程、そして複雑で広範囲にわたる流通・販売過程にまでおよぶ連続体であってみれば――このような再生産過程を汎ヨーロッパ的な規模で組織化するとなると――、商業資本の厳格な支配に服するほかはなく、旧来の製造業のような製造業者ギルドが成り立つ余地はなかった。やがて16世紀には、織元商人たちは多くの職人を1つの製造場所に集めて全製造工程を組織して、本格的なマニュファクチャーを運営するようになった。
そして、イングランドの毛織物産業そのものの構造に転換が起きた。
従来は、冒険商人組合をつうじて北西ヨーロッパに輸出される未完成品としての織布の生産だけだったが、フランデルンからの亡命者が伝えたウールニットの靴下や薄手の毛織物を完成品として生産するようになったのだ。毛織物商人たちは、高度な生産技術や熟練がいらないこの新産業を、技能は高いがギルドの規制が厳しい都市部から農村に移植していった。その製品は、地中海・イベリア方面に輸出され、その一部はさらにエスパーニャ領アメリカ植民地に転売された〔cf. 村岡・川北〕。
新たな毛織物の製造と貿易は急速に成長し、この動きは造船や海運の成長を引き連れていた。域内での富裕商人層の成長や都市の発達は、奢侈品や日用品への需要を増大させ、製造業全般の成長を促した。こうして、ヨーロッパ通商におけるイングランド商業の自立化とともに、製造業におけるヨーロッパ大陸への従属状態からの脱出への道が始まった。
1560年代から始まったネーデルラント独立戦争のために、アントウェルペンとイングランドとの通商経路が閉ざされ、ついにアントウェルペン市場は崩壊してしまった。この崩壊によって、それまでフランデルンへの毛織物輸出に依存していたイングランド商業と羊毛産業は深刻な危機に陥ってしまった。有力商人、企業家、ジェントリの試行錯誤が始まった。この試みのなかで成功がきわだっていたのは、冒険的な植民、交易路の拡大などの海外進出、民衆の服装の流行と結びついた新たな毛織物産業、つまり靴下編みやウールニット製品の開発・製造・販売だった。おりしも、17世紀初頭に東インド会社との競争に敗れたリヴァント会社がこれらの製品の輸出販売に特化するようになった。
やがて、イングランドの新毛織物製品がヴェネツィア産製品を抑えて地中海ヨーロッパ市場を席巻するようになった。17世紀の中頃には、イングランド全体の毛織物輸出額の約半分が地中海方面向けになった。イベリア諸国に輸出された製品は、さらにアメリカに向けて大西洋航路の船舶に積み込まれた。地中海市場には、イングランドだけでなく、ネーデルラント、フランスなどの北西ヨーロッパ諸国民が、工業製品の輸出先として押しかけて激しい競争を繰り広げた。この競争には、海戦や私掠・海賊行為などの軍事的角逐も含まれていた。そのなかで、イングランドが開発した高速武装帆船は、攻撃・防御・輸送力――つまり、輸送コストとリスクが小さい――という点で、一頭群を抜いていたと言われる。
毛織物産業の利潤率はほかの産業に比べ総じて高く、資本蓄積は急速に進んだ。いうまでもなく、製造業資本に比べて商業資本が優越していた。この製造業は、15世紀から16世紀にかけて、イーストアングリアからサマスィット、ウェストライディングなどに広がっていくにつれて、毛織物商人=織元は、大胆に新しい投資先を求めて活発に活動し、商業資本家階級の中核にのぼりつめていった。
彼らは、世界貿易にコミットする富裕商人としてロンドン、ハル、ブリストルという大都市でも大きな影響力をもつようになっていった。16世紀前半、ロンドンの人口は約4万、ノリッジやブリストルが1万前後だった。彼らは特権の獲得と引き換えに王権に財政的支援を提供して、政治的支配装置の中枢に近づいていった。彼らは貴族や有力地主領主層の生活スタイルを模倣し、新興のジェントリとなり、土地所有階級に融合していった。
このほか16世紀をつうじて、従来は小規模な工房で営まれていた石鹸製造や醸造、造船、製塩、さらに金属・ガラス製品、火薬、大砲、銃、紙、砂糖などの製造が工場規模で経営されるようになった。ことに16世紀末のアントウェルペンの陥落によって毛織物輸出市場を失った結果、輸出の見返りにイングランドに輸入されていた金属・ガラス・装飾品・石鹸などを域内で生産するようになったことが、製造業の発達の誘因となった。
また、ヨーロッパ諸王権の軍事的対抗のなかで軍需品の工業、すなわち火薬や銃砲、造船や地図・海図の印刷、兵器の材料になる硝石、鉄、青銅、真鍮などの製造が王権の保護のもとに大陸から移植され、成長した。これらの産業は原料・燃料として石炭やコークスを必要としたため、炭鉱業と石炭・コークスを運搬する船舶輸送業と造船業の成長を促した。これらの産業の成長は、2世紀後の「産業革命」に向けて技術的基盤を準備すると同時に、中規模の企業家層を育成した。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成