第5章 イングランド国民国家の形成
この章の目次
イングランドの海洋権力の膨張を見てみよう。
16世紀初頭までに、地中海で優勢だった、オールで推進する戦闘用のガレー船と帆走で推進する交易用のコッゲ船との分業が、大砲で武装されたカラベル船、さらに重装備の大型のガレオン帆走戦艦――平時には商船として航行できる――によって圧倒されていった。この新しいタイプの船舶は、海洋権力の拡張をもくろむイベリア諸王国やネーデルラント、イングランドなどが航路の防衛および対敵通商破壊のために利用し始めたものだった〔cf. Parker / Cipolla〕。
1496年、新型船舶の建造のため、ヘンリー7世はポーツマスに最初の乾式ドックを創設した。持続的でかつてない規模の海軍の拡大を推し進めたのは、ヘンリー8世だった。即位後の5年間で24隻の戦艦を建造または購入して、海軍の保有艦船数を以前の4倍の規模にした。そして、在位の終わりまでに、53隻の艦船を保有する海軍省 Navy Board を創設した。艦隊増強のための資金は、教会・修道院から没収した財貨を振り向けた。
だが、カラベル戦艦は見た目の威嚇効果は抜群だったものの、重厚な艦首楼・艦尾楼と大砲をしつらえた不恰好な船体で、鈍重で機動性に欠けていた。そのためその艦隊は、いまだ海上で接舷して兵員の接近戦をおこなう戦術(舷側接近戦)が優勢な海戦において戦果は思わしくなかったようだ。戦闘艦艇の造船技術では、快速ガレオン船を開発したエスパーニャ、ポルトガルがイングランドを凌いでいた〔cf. Parker〕。
しかし1579年以降は、ホーキンズによる海軍省の指導のもとで、王国海軍の急速な新技術導入と拡充がおこなわれた。甲板に配置してあった砲門を船体舷側に下げてカノン砲を上下の2列以上に配列した新型ガレオン船を建造・配備した。この戦艦は、4輪砲架に搭載した火砲の操作の機動性に優れているうえに、帆走しながらの砲撃で最大射程距離(数百メートル)をおいた敵艦を破壊できたという。だが、外洋巡航性能にすぐれたエスパーニャ艦隊と比べると、外洋公海での戦闘には不向きで、近海での友敵入り乱れた接近戦で強みを発揮したようだ。これらの艦船は、平時には商船として海上交易・輸送をおこなうことができた。
イングランド海軍の新型艦隊は、私掠船の海賊行為を交えながら、エスパーニャ艦船との個々の近海戦における舷側接近戦でのその技術的優位を試そうとした。ついに1588年にはロンドン近海で本格的な艦隊戦を挑み、テムズ川河口への侵入を試みたアルマーダ無敵艦隊を粉砕した。勝因は、外洋公海で圧倒的な強みを発揮するはずのエスパーニャ連合艦隊を相手に近海での接近戦にもち込んだからだった――というよりもエスパーニャ側の戦域選択に大きな誤りがあったというべきか。
フリゲイト艦(出典:Wikipedia「フリゲート」)
やがて、世界貿易が発展するとともに、外洋巡航性能にすぐれたフリゲイト艦が海軍の主力艦になっていった。洋上の暴力装置としての艦隊は、自国の航路と船舶通商を防衛し、敵国の海上通商を破壊するために動員されていった。海上を流通する財貨の量が飛躍的に上昇した17世紀以降の世界貿易網のなかでは、艦隊は、商船の掠奪によって部分的に財政支出を補填することができたうえに、戦闘要員以上に補給設備や兵站要員の数が必要とされる陸上の軍隊に比べて安価に配備することができたようだ。
ことに大陸の王権に比べて恒常的な陸軍配備がはなはだ弱かったイングランド王国としては、成長していく輸出産業の物流経路=航路の防衛という点からも、海洋権力による勢力範囲の拡大と利権の追求に政策的重点が置かれることになった。この海洋権力の中核は艦隊=海軍であったが、それはしばらくのあいだ海賊行為をおこなう私掠船群によって補完されていた。
イングランド艦隊は、17世紀前葉にステュアート王朝による無策と荒廃を経験したが、市民革命を経て国家装置の重要部分として位置づけられていった。
加えて、独自の軍事力と政治的・法的権力を備えた特許会社や貿易商人の経営組織、港湾設備などが海洋権力の主要な構成要素であった。これらは、イングランド商業資本の世界市場での優位を確立するために国境を超えてはたらく国民国家の権力装置の諸環をなしていた。
イングランド海軍は法制度上は王権に直属していたとはいえ、艦隊を実務的に運営・経営していたのは有力諸都市の商人団体だった。艦隊の指揮官たちは貴族爵位を与えられていたが、艦隊が実際に航海作戦に出撃すれば活動の財政的費用は艦隊自身あるいは艦隊司令部の実務を担う都市や商人の団体自身でまかなわなければならなかった。そして、艦隊の活動とは、アメリカとイベリアを結ぶ大西洋航路でエスパーニャやポルトゥガルの船舶を襲撃して――つまり海戦を挑んで――、積載している財貨を奪うことだった。
このような意味では、海軍・艦隊という軍事組織は、まさに王権国家装置と商業資本との直接的な融合を示す事象だった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成