第6章 フランスの王権と国家形成
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こうして戦役のためには、砲兵および軽装備の訓練された槍兵を主力とする歩兵部隊が必要となり、兵員の訓練と装備のために、さらに城郭陣地の構築と補給(これも兵員の仕事だった)のために、けた違いの金が動くようになった。目端の利いた貴族や商人たちは、新たな軍事的状況に対応して、ヨーロッパ各地から兵員を集めて傭兵隊を組織・訓練して、王や君侯からの報奨金と引き換えに軍事力として提供した。戦争がビジネス化した。それには、兵器などの軍事物資を供給・調達するビジネスも付随した。
このような軍隊を設立運営するため、フランスでヴァロワ王権の権威がおよぶ全域にわたる課税――1439年の王国割当税 taille
royale 、これは翌年に軍備割当税 teille des gens d’armes になった――が貴族層によって承認された。貴族と特権都市は課税を免れていた。負担は、小都市や農村の住民たちの肩にのしかかった。この税は、15世紀末までには、戦費割当税(軍税)
taille des gens de guerre として身分制評議会の同意が要らない恒久的な税となった〔cf. Howard〕。課税の負担を加重されたのは主に農民だった。
百年戦争は名目の上では王権どうしの戦いだったが、すでに見たように実際には局地的戦闘の集積であって、長期にわたってあちらこちらで断続する戦争状態をもたらした。それは、戦役に投入される傭兵の増大と局地的集中を生み出した。戦闘と殺戮、破壊や暴力行為に慣れ親しみ、武器を携行する多数の人間たちがフランス諸地方を往来することになった。
王権や君侯から規則的な俸給が支払われる軍務に召集される戦闘と戦闘のあいだ、つまり戦役が終わり、傭兵契約が解除されるや、収入の道を失った傭兵団は暴力を用いて掠奪・強奪にはしり、都市や農村を荒廃させた。傭兵たちは、生き残るために集団あるいは個人で都市や農村を襲い、掠奪や破壊行為によって生活の糧を調達したのだ。
このような状況では、「王の平和」、具体的は王の正規軍による支配こそが平穏な生活や通常の通商、生産活動の必要条件であった――少なくとも都市や農村の指導層にとってはそのように考えられた。そこで、野放しの傭兵団を片付けるため、15世紀半ばから、フランス王シャルル7世は一連の王令 Grande Ordonnance を発し、各地に群がっていた主要な傭兵団を王直属の軍に編入して残りを強制的に解散させ、直属軍を王が指定した特定の都市に駐屯させた。1445年の王令は、王軍に属さない私兵軍団の解散を命じ、傭兵団を率いていた軍団長 capitaine を新制の王軍に将校として組み入れた。その結果、常設の王令軍団 Compagnies
d’ordonnance が組織されることになった――ただし1500万の人口に対して正規王令軍は1万2000足らずだった。
だが、封建法的臣従関係=忠誠契約もなく、金銭的報酬によって雇われた傭兵の寄せ集めにすぎない王令軍団は、統合性と規律に欠けていた。軍を統制する行政装置や官僚装置――軍政組織――もなかったから、それぞれの兵団は分立的で、統一的な指揮権に服させるシステムも意識もなかった。とはいえ、王権がほかの諸侯に比べて強大な恒常的な軍事力をもつようになったのは確かだ。
この軍事力の維持には、巨額の資金が必要だった。傭兵は「放し飼い」ができない以上、最低限度の統制と規律を備えた軍隊とするためには、規則的な俸給の支払いが必要だったのだ。
そののち王権は軍事費をまかなおうとして、割当住民税のほかにさまざまな名目の税や賦課金を課そうとした。商人や都市は、こうした王軍をまかなうために、軍税の支払いを否応なく承諾した。というのも、傭兵が豊かな都市を襲撃・略奪したという風評は、都市と承認を震え上がらせていたからだ。
王権の支配地域はまだ限られていたが、このようにして、その軍隊は恒常的な財政的基盤の上に――ただし傭兵制度をつうじて――組織されるようになった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成