第6章 フランスの王権と国家形成
この章の目次
次に、12世紀から14世紀にいたる時期について、経済的・政治的権力の構造という側面から王権と都市の関係を見てみよう。
旧西フランクの版図のなかで、きわだった商品貨幣流通の集積地は2つあった。フランドゥルとパリである。これらの都市を掌握した君侯には、世界貿易の枠組みのなかに取り込まれていくフランス平原を統合する中核になりうる有力な条件のひとつが備わることになった。パリに比べてフランドゥルの方がより先進的な諸都市が集まっていた。しかし、フランドゥルには、諸都市のあいだの反目、パリの王権とプランタジュネ王権との勢力争い、北イタリア商人の金融的優越など、分裂要因に満ちていた。魅力がありすぎたのだ。
ところが、商業都市ないし工業都市としてはやや、というよりもかなり遅れていたパリ――当時の推定人口は8~12万というように人口はきわめて大きいのだが、とりたてて有力な商業拠点もなく、目立つほどの製造業もなかった――を拠点とした君侯が、結局勝ち残った。パリを支配したカペー=ヴァロワ王権と商業資本との結合を見ておこう。
12世紀から13世紀にかけて、支配圏域の拡張・統合を進める王権の最も重要な内政上の政策は、王に直属する効果的な行政装置=官僚機構を創出することであった。カペー家には貧弱な家政組織しかなかった。そのため王権は、その人的および財政的基盤を、都市を支配する富裕商人層との利害共同に求めていくことになった。
王領地の周囲あるいは王領地に編合された地域の諸侯・領主との闘争で、王と都市は共通の利害から行動をともにした。経済的=財政的能力によって近隣の地方領主の支配から抜け出し始めた諸都市は、都市団体の権威すなわち《内部自治権》の政治的・法的保証を必要とし、王に支援を求めた。王は、都市が自力で獲得した自治団体としての地位を特許状――賦課金や諸税の支払いを条件とする――によって法的に保証し、王の大権に従属させた。都市は、獲得した法的地位を周囲の領主層から守るために、ますます王権に依存するようになった。
とはいえ、王の支配権は、多くの地方では、ことに王領地の外部では、まだ名目的なものにすぎなかった。たしかに都市はさまざまな度合いの団体自治権を獲得したが、地方の諸侯・領主はまだ財政、司法、軍事面での裁判権という都市統治の重要部分を掌握しており、ときには都市役人の最高位である市長の任命にさえ影響力をおよぼしていた〔cf. Braudel〕。
封建法観念上、王は最上位の宗主権または封主権を自ら主張する君侯のなかの1人でしかなく、直轄領でも都市団体を外部から制約する権力のひとつをなしていたにすぎなかった。ほかの有力君侯はもとより、近隣の地方領主の権力を完全に統制できるわけではなかった。
だが、王がその権力のおよぶ範囲について、領主特権の抑制や内陸関税圏の分断の解消をもたらす政策をおこない、より広域的な統合と「王の平和 pax regis 」の達成、つまり利害相反を理由にして近隣の領主が都市に私戦・私闘を仕かけるような事態を防ぎ、取引きの安全と財産権の保証が約束された空間を拡大する能力と意欲を示すことができるかぎり、都市は、ほかの諸侯や地方領主よりも王を支援した。都市商人から見れば、王権の支配地域の拡大と安定は、商品流通ネットワークを政治的・軍事的に分断する領主権力(関税圏域)の抑制・解体に向かう動きとなるがゆえに、望ましいことであった。
王領地の拡大や王権の膨張と集権化を進めるために、歴代カペー家の王たちは(王領の外部の)諸侯領内にある諸都市に特許状を授与して自治権を認め、封建諸侯や領主層からの自立を促した。こうして、これらの都市団体と行政機関を王権の衛星的装置として、つまり諸侯の勢力圏に王権が打ち込んだ「くさび」として機能させたものと見られる。このような諸都市は、王権にとって国家形成の兵站拠点となった。
パリはヨーロッパでも特異で奇妙な都市だった。
13~14世紀にその人口は8万~12万に達したという。その飛び抜けて巨大な人口、つまり労働力や消費力、それゆえまた商業資本の集積にもかかわらず、ヨーロッパ遠距離貿易ネットワーク、世界市場のなかで経済的権力の中枢、すなわち世界都市としては振る舞っていなかった。当時、世界都市――世界貿易の権力中心――として振る舞っていたミラーノ(人口10万)やヴェネツィア(9万)ブリュージュ(5万)、ケルン(3万)リューベック(2万)と比べても、際立って大きな人口規模を誇っていたにもかかわらず。
これらの世界都市は、近隣の君侯領主の権力を悠然と跳ね返すだけの力を持ち、現に行使していた。各都市の出身商人たちは、ヨーロッパ各地に出向いて交易拠点や通商ネットワークを自己中心的に組織化していた。都市の権力体系は、市壁や市域をはるかに超え出てヨーロッパ各地におよんでいた。
ところが、パリは大した力もないカペー家やヴァロワ家に服していた。パリの富と権力は、その巨大な人口を養うために必要な物資を市域内に引き寄せるために、つまりもっぱら内向きに用いられていたようだ。市域外の経済循環や商品・貨幣流通を組織化し、自らに従属させる力としては利用していなかったように見える。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成