第6章 フランスの王権と国家形成
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王権の行政装置および政策決定装置を担う官職保有者が富裕な上層商人出身であるということから、王権の政策が、ヨーロッパ世界貿易競争でのフランス商業資本グループの優位の獲得、そのための商業資本による産業支配の強化に目標を置くようになることは必然的だった。そして、世界経済における――ネーデルラント、イングランド、フランスなどという――商業資本グループのあいだの競争は領域国家のあいだの武力闘争と直結した。領域国家間の闘争とは、すなわちヨーロッパ諸王権・君侯間の家門主義的な勢力闘争ということであった。フランス王権は地続きのヨーロッパ各地の政治的・軍事的紛争に直接に引き込まれ、財政を消耗させ、それゆえ製造業や中下層商人、農民への税負担をいよいよ重苦しくした。
ヨーロッパ諸国家体系のなかでのフランス王権の重商主義的政策は、域内で独特の権力関係と階級構造の所産であると同時に原因でもあった。利害対立と敵対・闘争は、支配階級と従属的諸階級のあいだだけでなく、支配的諸階級の内部でも拡大再生産されていくことになったのだ。
16世紀末以降、貿易商人および卸売商人は、都市の製造業および地方的商業・手工業への支配・統制を強めようとした。繊維製品や金属製品のための原材料供給および販売経路という再生産条件を掌握した商人たちは、製品の品質・量目、生産方法などを細目にわたって決定する問屋制支配をおよぼした。これに対応して、王権の産業規制による介入が包括化していった。王権は何度も王室直轄の宣誓ギルド
jurande に関する王令を出して、都市および農村の商人とマニュファクチャー工房や手工業者をジュランドに組織化しようとした〔cf. 中木〕。
王権中央政府に結集した商人層は、経済政策に彼らの利害と権力体系をそのままもち込んだ。他方で、特権的ギルド都市に生産と生産者を集中させるための政策を施行し、製造業において特権ギルド諸都市を頂点として農村を底辺とするピラミッド型の分業体系を形成していった。そして、ギルド都市には従来どおり上質品の生産を集中し、農村手工業には粗製・並質品の生産を割り当てた。こうして、製品価格と労賃の二重構造、階層序列関係ができあがった。
それは、ヨーロッパ世界経済の中核地域であるネーデルラントとイングランドの輸出攻勢――それはこれら地方の商人団の進出滞在をともなっていた――に対抗して、繊維などの工業製品の域内自給率を高め、価格競争力のある輸出向け製品の生産を促進する政策なのであった。諸国民のあいだの通商戦争のなかでフランス王権も外国貿易を王室の独占事業とし、巨額の税や賦課金の上納を見返りに有力商人たちに貿易特権を与えた。こうして、王権の周囲に富裕商人層を結集させることになったが、その富裕商人たるや、売官制度によって官職を得て、国家装置の直接の担い手でもあった。
彼らは、もはや商業を捨てて土地貴族へ転身したかつての富裕層とは異なり、あくまで商業資本の担い手として中央国家装置に結集していた。その意味で彼らは、王権からの自立化を求めがちな地方高等法院の法服貴族層とは対立する利害を意識し、王権による集権化と統合のエイジェントであった。こうして、王権ならびに王国の統治機構を担う支配階級は2つのブロックに分かれていた。つまり、世界貿易指向派の大商業ブルジョワ・法服貴族層のブロックと土地経営指向派の大地主(爵位や官位をもつ)ブルジョワ・法服貴族層・旧名門貴族層のブロックだ。
さて、ネーデルラントやイングランドに対する貿易上および工業上の劣位を補うために、つまり世界分業におけるその勢力範囲の自己中心的な組織化のために、《政治体としてのフランス》は自らにとっての収奪の対象、つまり周縁部が必要だった。フランス王権と商業資本は、外に向けては植民地貿易ないし植民地経営の拡大を戦略的目標に選んだ。
とはいえ、商業資本の国民的統合はなかなか進まなかった。1604年には東インド会社が設立され、商人グループの貿易活動の組織化と統制をめざしたが、挫折し、まもなく廃止・解散された。1608年には北アメリカ(カナダ)にケベック市を建設し、北アメリカ植民活動の拠点を築いた。その後、リシュリューが商業航海長官として王室海軍を創設――船舶輸送の防衛と敵の通商破壊をより自覚的に追求――するとともに、植民事業を推進した。やがてコルベール期には、国家の経済力の源泉を蓄積された貴金属の総量に求め、商業および製造業の育成とその行政的統制をつうじて輸出競争力を強化し、貿易差額を蓄積するという戦略を追求するようになった。
競争力のある安価な輸出用製品を生産するためには、労賃の抑制、つまり職工や労働者の生活費用の圧縮が必要だった。とりわけ食糧、穀物の安価な供給体制が求められ、コルベール期には王権による穀物流通の規制と穀物価格の抑制政策が追及された。都市への安定した食糧供給は、食糧危機が都市民衆の騒擾・反乱の直接の原因になるがゆえに、商業資本の支配の安定のためにも不可欠だった。それゆえ、農業での収益性と利潤率の低迷がもたらされた。土地所有階級および土地経営階級の危機が生じた。
この危機は、王権の行政装置の周囲に結集したブルジョワ貴族層、法服貴族層のなかに2つのブロックへの利害分裂と対立を生み拡大した。つまり、《商業資本=世界貿易指向派》と《土地経営=フィジオクラート派》である。それは、ほかの多様な利害対立――とりわけ民衆の反租税闘争――と複雑に絡まって、17世紀半ばから後半にかけてフロンドの反乱を引き起こし、支配階級内部での権力ブロックの再編と移動を帰結することになった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成