第6章 フランスの王権と国家形成
この章の目次
中世ヨーロッパの王の催事として、王が地方を訪れて病者を抱擁したり接吻したりして王の権威や聖性を誇示することがあった。だがそれは、王権の権威を誇示するというよりも、宗教的行事として、教会権威を背景としながら「聖人としての王」の威光を知らしめる催事であった。また、王が巡行する場所は訪れても安全な場所であって、王族の領地や王の直轄都市であった。
したがって、このような行事の開催をもって、王の権威や権力が地方に浸透したとか拡張した事例と見なすのはまったくの誤りだ。日常的に権威を伝達する行財政装置が存在しない限り、王の巡行による疾病者の祝福は「突発的な見世物」でしかなく、その瞬間的な威光は時間の経過とともに忘却されるものだった。
11世紀から15世紀にかけてヨーロッパではいくつかの大規模な貿易ネットワークが形成され、都市を結ぶ海上・陸上・内陸河川の流通・交通経路ができあがった。これらの貿易ネットワークは、ネーデルラントと北イタリアという2つの軸心を中核として成長した。諸都市を結ぶ交易路は多数の君侯および領主支配圏を横切っていて、都市そのものと諸地方圏をあれこれの貿易圏に引き寄せ、からめとっていた。
公領や伯領、諸都市など、多数の政治体に分裂していたフランスの諸地方は、王権による統合作用よりも、貿易圏――諸都市のネットワークをつうじて発動される商業資本の権力――の影響をはるかに強く受けていた。それゆえ、王権の支配圏域の拡張と行財政装置の構築=集権化には、いくつもの阻害要因が絡みついていた。
交易路の諸地方への拡大や商品貨幣循環経路の浸透は、人びとや諸地方のあいだの物質循環や交通路の伸展にともなう情報の流通をもたらす。そのさい、領主権力などの身分特権は、遠距離貿易の商業利潤の分配ないし再分配を左右する権力だった。だから、それが君侯や王の権威をおよぼす経路や仕組みの拡張の可能性をもたらすものであったのだが、他方で君侯領主のあいだでの生き残り競争を熾烈化させる要因にもなった。
それゆえ、私たちは王権や君侯権力の成長をヨーロッパ遠距離商業の発達という文脈と関連させて考察しなければならない。
13世紀に、経済の重心が北西ヨーロッパに傾く以前のことだが、ネーデルラントと北イタリアという2つの極の経済的中心の中間にシャンパーニュの大市
les grandes Foires de Champagne の一時的な繁栄があった。その頃、北イタリアからフランドゥルにいたる通商経路としては、ヴェネツィアやジェーノヴァから海路・陸路を経て、ローヌ、ソーヌ、セーヌ、マースの大河川沿いにたどる輸送路とアルプスの西側を回る陸路が栄えていた。遠距離商人たちはいまだ固定した経営拠点をもたずに、隊商を組み、護衛団を引き連れて交易拠点を巡っていた。フランドゥルにほど近いシャンパーニュ地方で年6回開かれる大市は、多数の商人を引きつけた。
この地方の4都市のあいだを大規模な市が循環し、商人と商品、貨幣と信用が結集した。大市には、ことにフランドゥルおよび近隣地方で生産された毛織物製品が集積した。それらは北イタリアの商人たちによって買い付けられ、その後、フィレンツェなどの工房で染色・仕上げ加工され、イタリア全土、地中海諸地域に売りさばかれた。その流れにフランス諸地方、イングランド、ドイツ、イベリア半島の商品が加わった。
イタリアからは、胡椒、香辛料、麻薬、金、現金、信用状や為替手形が届いた。多様な生産地から来る大量の商品の取引きにともなう決済やその繰り越し、両替え、為替取引きなどの信用が先駆的に活用された。この金融や貨幣取引きの主要部分を、イタリア商人が現地でまたは遠隔地(ジェーノヴァやフィレンツェ、ミラノなど)から統制していた。13世紀に商業取引の最先端を走っていたイタリアは、各地の大市に金貨の鋳造・為替手形・信用の慣行を導入したのだ〔cf. Braudel〕。
だが、13世紀の末以降、シャンパーニュは衰退していった。
13~14世紀は、農業危機、食糧危機、疫病の蔓延による人口激減、所領経営の危機、戦乱などの要因が複合した危機の時代だった。危機への対応のひとつが遠距離貿易と都市の成長だった。ヨーロッパ経済の北西の極、フランドゥルを含めたネーデルラントは、ハンザ諸都市とバルト海=北海貿易の成長、東欧植民の進展にともなって重みを増していた。そして、北イタリアと北西ヨーロッパとを結ぶ流通経路としてイベリア半島回りの海上航路が開設され、またアルプス東部のブレンナー峠を越えてイタリアとラインラントや中部ヨーロッパとを結ぶ街道が発展した。人や財貨の移動経路に沿って都市集落や宿駅がつくられ、とくに水量豊かな河川が流れるドイツ・中欧の諸都市の成長が始まった。
・・・ドイツ地峡は、早くもその時点でより有利な地歩に立った。ドイツをはじめヨーロッパ中部は、銀山・銅山が繁栄し、農業が進歩し、ファスチアン産業が根をおろし、市および大市が発達するにつれて、全体として躍進を開始した〔cf. Braudel〕。
北西ヨーロッパ、バルト海、東ヨーロッパでドイツ人商人が活躍し、彼らの通商経路に沿って高地ドイツからラインラントに両替商・金融業のネットワークが広がっていった。これらの事情は、北イタリア都市の商人がイベリア沿岸航路で北海方面への貿易航路を開拓したことと相まって、シャンパーニュを中心的な物流経路から追い落としてしまった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成