第6章 フランスの王権と国家形成
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フリッツ・レーリッヒによれば、15世紀をつうじて王領地での財政の管理、ことに王の課税による都市経済力の収奪は、いまやこれまで以上に徹底したものになったという。だが他方で、王権は課税基盤の強化のために、域内都市と商業資本の成長を保護促進しようとする政策も実施した。
たとえばイングランドの勢力圏からの織布輸入禁止は、とくにこの方向で効果をあげ、フランス織布工業を大いに活気づけた。ブルジョワの代表者たちは、それぞれ、国家の商業・経済政策に影響をおよぼし、その担い手にさえなった。ここでもやはり、ブルジョワ出身の顧問官たちが王政の実質的な支柱となった〔Rorig〕。
ルイ11世(治世1461-83)の治下では、王領地における都市の行政・財政・司法権力の王権への全面的な統合が試みられ、王権と都市の緊密な共同利害関係がいっそう強まった。有力諸侯や地方領主層の掣肘のために、ルイは有力諸都市を優遇しその富裕商人団体を頼りにした。富裕商人層の繁栄を促進し、都市経済を豊かにして、フランス域外商人から独立させること、それが「フランス王座に座った最初の重商主義者」の新たな遠大な計略であったとレーリッヒは指摘する〔cf. Rorig〕。おそらく、パリや北東部の発達した商工業諸都市を直轄支配して利害を共有しながら、そこから多数の王政役人を登用したことから、商工業の保護育成は王室財政と王権の強化に不可欠の政策であることを、理解していたためではなかろうか。
王権は、貿易からあがる利潤を独占的に王室財政に結びつけようとした。つまり域内土着の商人の手を経て商品が流れるか、あるいは域内のマニュファクチャー製品を売りつけることができるようにするために、王権は土着商人に特許状を与えて特権を保証したり、域外勢力に恫喝をかけたり、重い関税を課したりすることになった。特許商人たちが獲得した利潤のうち一定部分は、特許状の見返りとしての賦課金や税として王室に納められた。王室は貿易利潤の再分配に参加するとともに、これを政策的に組織化したのだ。
たとえば、
ヴェネツィア人に対しては、アレクサンドリアとの直接の海上連絡路を開くことによって、その排除を企てた。…イタリアの絹製品、とくに高価な錦織の購入に支出される巨額の資産を域内にとめおくために、王は…1466年にイタリア絹工業を移植する大規模な試験地としてリヨンを選んだが、そこの絹工業に困難が生じるとトゥールを指定した〔Rorig〕。
このような政策の結果、15世紀末葉には、王国内の50人足らずの絹織物職人のうちフランス人は半分に満たなかったが、16世紀の前半には、自立したフランス人の親方が800人、職人が3000~4000人になったという〔cf. Rorig〕。
さらに王権は、王国域内の諸都市と貿易商人のために、フランス人のジュネーヴの大市への訪問を禁ずる一方で、リヨンの大市の振興にはあらゆる対策がとられた。オランダ人、フランドル人のような北方の航海民族の諸団体(都市も含む)やドイツ・ハンザ諸都市との協定が結ばれた。1475年のイングランドとの条約は、商業分野でのそれまでの戦争状態を最終的に解消したという〔cf. Rorig〕。
王権がおよぶようになった直轄領やその近隣の有力諸都市と富裕商人層は、ヴァロワ朝王権の支配機構に深く組み入れられることによって、貿易と製造業での地位を強め、イングランドとの戦争と疫病・人口危機によるすさまじい荒廃からきわめて短期間に立ち直った。いまや都市団体の自由特権は王権への従属と引き換えに保証され、自立性は制限されたが、もはや地方領主の介入をはねのけたうえに、王領地と王国全般の統治――とりわけ通商政策や産業政策――に関与することになった。
だが、王権は王領地の外部、ことに地中海沿岸部や西部では、諸侯や地方領主の分立にその後も悩まされることになった。相変わらず、フランスの内陸交通はいくつかの関税区域に分断され、多数の慣習法圏に分裂していた。地方的な関税主権や法を固守する有力諸侯や諸団体は王の統治権に盾突いていた。この分裂を克服する王権の政策に、王党派ないし「開明派」の貴族層と有力商人層は積極的にコミットしていった。王権は、各地方の行政単位に自立的な裁量権を認めざるをえなかったものの、直属の査察官(軍政官) Commissaire ――王直属の親任官僚で、のちにブルボン王朝で地方監察官 Intendents となった――を任命し派遣・巡回させ、統合を進めていった。
巡察使や地方監察官、そしてまたその補佐官吏の多くにはブルジョワ出身の貴族がリクルートされた。こうした官僚は、王から直接登用任命され一定の期間を限って登用される親任官僚
Commissaire と官職保有役人 Officier との2種類に区分される。
あとの場合、官職保有官僚の官職位は特権と収入をともなう資産としての性質があり、以前から売買の対象となっていた。しかし官職売買は、富裕商人層を商人身分から切り離し、彼らが蓄えた富を経済的投資から王室財政に引き上げることで、商業資本の権力ブロックの成長を妨げたことも事実だった。しかも、金しだいで官吏になれる制度は、王権による官僚の統制の効果を弱めることもあった。ともあれ、16世紀以降、王権によって集権化のために登用派遣される親任官僚の予備軍となったのは、訴願審査官団だった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成