第6章 フランスの王権と国家形成
この章の目次
フランスの統合と秩序の再編のためには、強力な王権中央装置と地方行財政を統制する機構を形成することが課題となった。そのための統治組織を創出するうえで官職売買は、王権に直属の、あるいは従順な官僚を経済的に有力な階層からリクルートして国家的結集の中核として組織すると同時に、王室の財政収入を増やす魅力的な方法だった。
1604年のポーレット法 Paulette は、官職売買に関する手続きや、それによって獲得した官職と特権を王室が公式に制度化し認める法令だった。この法によると、官職価格の60分の1の年税を王室に支払うのと引き換えに官職売買とその世襲の自由を認め、官職にともなう土地所有を保証した。これによって王権は、貿易や金融を営む上層商人層を王権の周囲にリクルート――ときには高位の貴族として授爵――し、王権からの自立を指向する旧貴族層への対抗勢力として組織化しようとした。しかし、官職の世襲制は、王権による自由な官僚の選任や統制を妨げ、官僚の王権からの乖離を許すことにもつながった。
なかでも、高等法院には伝統的に王令登記拒否権と異議申立権が認められていて、王権を掣肘することができた。司法制度では、王権がその頂点を占めていたが、司法官職の体系としてはパリと地方の高等法院を最上位として、次いで上座裁判所、その下にバイイ裁判所またはセネシャル裁判所、プレヴォ裁判所という序列をなしていた。
有力な遠距離商人や金融商人は、高等法院や租税法院、会計法院などの官職を得て身分的に上昇し、うまくいけば法服貴族となった。だが、やがて彼らのなかには地方での土地経営に足場を移して地方的特権の維持に執着し、相対的に王権から自立していく分派が現れた。彼らは王権による統制や集権化――それは自覚的な国家形成ではなく、場当たりな戦費調達のために税や賦課を取り立てるのを目的としていた――には抵抗することになった。
富裕商人層や商業化した貴族が王権に強く依存しながらも、国民的規模での統合に向けて結集にしなかったのは、彼らを結集させる恒常的な制度・国家装置がなかったからだった。1517年から1789年までのほとんどの期間にわたって、域内の有力諸身分が結集して王権を掣肘するための中央装置としての身分集会=総評議会が組織化されていなかったからだった。フランスは地理的に広大で地方的格差や差異が大きく、領主貴族たちや諸都市の地方的分立性が強かったうえに、しかも総評議会が王権と共存して運営される状況になかったのだ。
王権は、その統制から自立しようとする官職保有官僚や貴族を統制するために、王権直属の官僚団から、期限つきで官職と権限を与えた親任官僚を派遣した。
王権は財政逼迫のなかで、王室収入を増やすため貴族や地方都市の特権を削り取ろうとし、片や貴族や地方代表はそれに抵抗した。しかも免税特権のある貴族層は、課税による財政的収奪をまともに浴びる諸都市とは対立していた。そして王権と貴族は、農民から搾り取った地代や税の分け前で争っていた。
およそ1世紀ぶりに王の召集によって1614年末から開かれた総評議会は、王権と地方、諸身分にあいだの深刻な対立のうちに散会し、その後はついに市民革命期まで召集されることはなかった。そのため、当初は王権の強い統制のもとで組織された地方統治機関とその担い手たち――地方の貴族や都市団体――は、長いあいだ中央装置への参集・結集から切り離された状態に置かれるることになり、やがて地方的利害に絡め取られ、しだいに王権から自立化・分離していく傾向があった。
官職の購入で大権法院などの行政装置にもぐりこみ地位を確保した官職保有官職層がやがて地方貴族となり、王権の統制から自立化していくと、王権は新たな統制の仕組みを形成するために、上層商業ブルジョワジーからあらためて官僚を補充し、王室直属の中央国家装置として強固に再組織しなければならなかった。
このような文脈において、ヴァロワ王朝で形成された統治機構は、戦乱や王位継承紛争によるヴァロワ家の没落とともに麻痺・解体し、したがってブルボン王朝では集権化のためにそっくり組み換えられることになった。この過程は、ヨーロッパ世界市場の出現とともに、貿易をめぐる複数の商業資本ブロックならびに諸王権のあいだの闘争が熾烈化するという歴史的文脈のなかで展開した。つまり、従来とはけた違いに強大な王権の構築への動きと、さらに影響力を深めた通商競争の論理とが交差していた。ゆえに、ブルボン王朝による統治組織の形成は、独特のものになった。
貴族化した大ブルジョワを中央国家装置に組織化したブルボン王権は、彼らのイニシアティヴのもとで行財政の中央集権化と重商主義政策を強力に推進し、統合に抵抗する旧貴族層や法服貴族層を王権に従属させようとしていった。新たな王権直属高官たち(家門群)は、パリなどの有力都市に拠点を置いて商業経営を継続し、世界貿易での優位の獲得――あるいは劣位の克服――という商業資本の利害を王政の運営に強烈に反映させていった。
ゆえに、所領経営も含めた農業経営ないし土地経営の利害よりも、マニュファクチャーの育成や製造業に対する商業資本の支配の深化、貿易競争力の増強――これには、食糧・穀物価格の低廉化も含まれる――に向けて政策を策定・運営した。旧来の土地貴族は、領主としての特権を切り崩され、商品貨幣経済の浸透(これにはインフレイションがともなう)とともに収入が相対的に減少し、窮乏化、弱体化していった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成