第6章 フランスの王権と国家形成
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以上に見た文脈において、17世紀末に始まった世界経済の構造転換の時期までに、フランスはヨーロッパ世界経済での優位をめぐる有力諸国家の一角をなしうる政治的・軍事的単位としてどうにか生き残ることができた。とはいえ、王国域内には広大な周縁部・半周縁部を抱え込んでいた。しかも、王国にまとめあげられた諸地方の分立・分裂傾向は依然として強固で、王権の軍事的・政治的組織の大きさの割りには世界市場における経済的・軍事的競争での力能はかなり見劣りがした。
ヨーロッパ的文脈のなかに置かれたフランス王国の地政学的諸要因による諸地方の分裂傾向は、ブルボン王権よりも前の諸王権の集権化・統合活動の前に厳然と立ちはだかり、諸王権を没落・解体させてきた。そのため、新たな王権が登場するたびに、王国の統合や集権化をやり直さなければならなかった。ところが、世界市場競争が熾烈化した局面でおこなわれたブルボン王権の集権化と統合運動は、強固な政治的枠組みをもたらし、のちに18世紀末の王権の麻痺・没落の危機――そして市民革命――にさいして、もはや分裂ではなく、より強固な統合・凝集をもたらすような政治的状況を生み出すことになった。
フランス王国版図の地理的な広大さを考えると、当時のヨーロッパでは空前絶後の規模の国家的統合の枠組みだと言える。とはいえ、この地理的な広大さは、その域内に多くの地方的な分裂要因を抱え込むことになったいう点で、王権国家としての弱点――統合性・凝集性の弱さ――ともなっていた。
そのような経過を私たちは、「絶対王政の確立」として分析してきた。
ところで、フランス王権の重商主義的政策については、「自生的で自由なブルジョワ的発展」あるいは「下からの資本主義化」なるもの――イングランドを理想型と見なす史的発展モデル――を阻害したという評価がある〔cf. 中木〕。
しかし、すでに成立しているヨーロッパ世界経済の権力構造のなかで、産業的・通商的に従属的な地位を割り当てられつつあり、域内の統合性が弱いフランスを国民的規模で統合し、産業的・通商的に自立させるには、ほかに手立てがあったろうか。否である。実験室の試験管のなかではあるまいし、夢物語のような「純粋な資本主義的発展」(願望のような類型観念)を歴史評価に持ち込んでも意味がない。
しかも、私たちの考察が明らかにしたように、イングランドでは商業資本の権力による「上からの資本主義化」がおこなわれたのだ――つまり史的発展モデルは幻想だったということだ。権力構造ないし支配システムとしての資本主義の成立の道は、このような形態しかありえなかったのだ。「歴史の進歩」という幻想を掲げる歴史理論は、「資本主義の進歩的性格」なるものを見出そうとしてきたが、それはソヴィエト革命への歴史的進行を必然と見なした《旧ソ連の世界史イデオロギー》の影響下で生み出された幻想でしかなかった。
たしかに域内での王権や商業資本による従属諸階級の収奪はきわめて苛酷だったが、世界分業での地位が後退すれば、彼らはさらに厳しい搾取体制に放り込まれることになっただろう。
すでに述べたが、このような発想の土台には、理念モデル化された(観念型 Idealtyps としての)イングランド像を近代化や資本主義化の基準=尺度とする方法がある。観念的な歴史尺度を「外から」実際の歴史に適用する方法である。あるいは、観念上より上位に位置づけたモデルに向かって接近していく過程を「歴史の発展」と見る「発展史観」「進歩史観」とも言えるだろう。
ところが、「自生的で自由なブルジョワ的発展」「下からの資本主義化」という観念のモデルとなったイングランドでも、すでに見たように、「自生的で自由な(下からの)ブルジョワ的発展」なるものはなかった。そこには、ブリテン商業資本の世界経済での優位を追求できる国民的レジームをめぐって特殊な階級闘争があったのだ。産業資本の自生的な成長というものも、もちろんどこにもなかった。
資本主義を歴史的に特殊な権力構造あるいは支配システムと見なす私たちの方法に即して眺める限り、ヨーロッパ諸王権――とこれに同盟する商業資本――による国家形成競争や世界市場競争のなかでは、従来の支配階級のある部分が自己変革を遂げながら、統治権力をもって資本主義的な再生産構造を組織化することではじめて近代「国民経済」や「国民国家」が形成されたのだということになる。
資本主義化とは、歴史的に特殊なひとつの支配・従属システム=搾取・抑圧体制――すでに以前から存在する諸条件を素材として取り込みながら進展する――の形成にほかならない。
コルベールの政策は、王権による力まかせの産業や地域の選別政策、つまり優遇・保護と収奪・抑圧、そして構造的格差の押しつけであった。つまり、王権との結びつきによって戦略的に優位を与えられた(つまり発言権が強い商業資本が支配する分野の)産業部門・経営体・階級には資源が選別的・優先的に集中配分されたのだ。ところが、そのために他方では、周縁化された部門・階級に対する過酷な収奪・抑圧が随伴したことはいうまでもない。
そのような現実を直視して歴史の流れを追いかけるとすると、そのような事象群が拡大再生産されていく歴史的過程を「発展」とか「進歩」という価値づけ評価方法で見つめることに、強い拒否感や抵抗感を覚える。であるがゆえに、私は「発展史観」「進歩史観」を除去して分析・考察する立場を選び取ることになった。
それにしても、重商主義的政策をつうじてフランスは17世紀の終わりまでに――はなはだ劣位においてだったが――ネーデルラントとイングランドという中核諸国家を向こうにまわした勢力争いにまで手を伸ばせるほどの経済的基盤と政治的凝集を形成することができた。もとより、その選別された諸産業の繁栄と権力は、域内外の諸産業・諸階級の収奪と貧困化のうえに築かれたものだった。
権力構造や支配システムとしての資本主義や国家、国民の生成と成長とは、そういうものであるほかなかったのだ。
とはいえ、それでもフランスの分裂要因の克服と国民としての凝集の強化のためには、またとりわけ徴税・財政機構の集権化と統制をめぐっては、王政は乗り越えがたい決定的な限界・脆弱性を内包していた。熾烈な世界市場競争は、より強力な国家組織を必要とするのだ。その限界・脆弱性は、1世紀後に市民革命によって破壊され、国家組織とレジームが組み換えられることになるはずだった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成