第6章 フランスの王権と国家形成
この章の目次
絶対王政が形成されていった15世紀から17世紀までの経済構造の変動を見ておこう。フランス王国各地の商工業をヨーロッパ世界経済と世界分業体系のなかに位置づけて考察してみよう。
14世紀中葉から続いた飢饉や疫病、戦乱による荒廃と危機からの復興回復が始まったのは15世紀中葉以降で、14世紀の推計約1700万から1000万まで落ち込んだ人口が回復して2000万まで達したのは16世紀半ばだったという。この間、人口の急増とヨーロッパ全体のインフレイション傾向による価格体系の変動のなかで、フランスでも穀物価格の高騰が続いた。
15世紀後半以降、荒廃した耕地の復興が進んだが、16世紀前半には耕地の拡大が限界にぶつかり、穀物生産の伸びは鈍化して急増する人口に追いつかなくなった〔cf. 服部 / 谷川〕。ゆえに、16世紀前半から食糧や製品の価格上昇が始まり、それは、この世紀の後半以降、アメリカ大陸の銀が大量に流入したことで生じたヨーロッパ全体における急激な物価上昇に引き継がれた。
農業の生産構造の変化には土地所有形態の変動がともなっていた。15世紀には、領主層は所領の復興のために農民に譲歩して地代の軽減や農民の土地保有権の強化が進み、農民の土地保有規模が拡大した。農民経営の規模の拡大は、商品貨幣経済の浸透、それゆえまた景気循環の荒波を受け、農村での二極的な階層分化をともなっていた。人口増加、貨幣経済の浸透、穀物価格の急上昇のなかで、16世紀をつうじて農民経営の階層分化、つまり一方での経営の大規模化と他方での農民人口の大多数の零細化が進展したのだ〔cf. 服部 / 谷川〕。
とりわけて中小農民の没落と商人・地主による土地集積を加速したのは、1630年代から80年代まで続いた長期不況だった。債務を負った多くの農民の保有地が商人や地主の手に移った。
というのは、農村人口の増大が耕地の拡大を上回り、耕地保有の細分化が進んだ結果、経営の自立化ができない零細保有農民が増大して貧窮化したため、農地の売買や債務による質流れがかなりの規模で生じたからだった。窮乏化した農民の手を離れた土地は、富裕農民や富裕商人(貿易商人、金融業者)、王役人などの手に移った。とりわけ、遠距離貿易や金融で成り上がった都市の富裕な商人層が債務に追われた農民保有地を買い集めたことで、大規模な土地集積が生じた。有力な地主層は地代収取権を買い取り、領主になった。彼らのなかには、王権から官職を買い取り、法服貴族への道を登る者も現れた。
パリ盆地やノルマンディなどの北部では、賃労働者として多数の没落農民を雇用する大規模借地農経営が広範に展開した。これに対して、ほかの地域では、大規模な土地所有権の集積が生じても、土地経営の実態としては耕地を多数の区画に細分化して定額で貸し出すようになり、定額小作経営が増加した。
穀物価格と都市製造業の賃金、商品価格の上昇のなかで貨幣地代の実質価値が目減りしていく状況に直面して、多くの地域では、商人や富裕農民の所有地は定期小作によって零細農民に貸し出す方式に移行していった。領主の直営地でも、定期小作地への転換が進んだ。こうして、地主的土地所有・経営(地主=小作関係)が広範に形成されていった。ことに南部やブルゴーニュでは分益小作制 metayage による小規模借地農経営が普及したという〔cf. 服部 / 谷川〕。
してみれば、ウォラーステインの世界経済理論の基準にならうと、フランスの農業経済構造は、フランドルやノルマンディ東部、パリ地方がヨーロッパ世界分業体系の中核地帯に位置したけれども、そのほかの地域は半周縁に位置づけられたことになる。これは、製造業や貿易・通商活動にも当てはまる。絶対王政のレジーム下で資本主義的世界経済の運動メカニズムが強力に働いていたということだ。
フランスの領主貴族階級の所領経営は、すでに13世紀半ばには遠隔地市場向けの換金作物生産、つまり遠距離貿易商人の権力に包摂されながら貨幣収入をめざす経営に変化していた。領主たちは、農民の権利を剥奪したり、共同耕作地を奪ったりして、彼らの週労働日のより多くの時間を領主直営圃場での労働に駆り立てようとした。
この傾向は誤って「領主反動」とか「封建反動」と性格づけされてきた。だが、所領経営の内容=目的は遠隔地市場向けの商品生産であって、市場での販売(商品交換)による利潤、すなわち貨幣形態での剰余価値の領有と蓄積をめざすものだった。ウォラーステインは、このような領主所領経営を《資本家的農業企業》と呼んでいる。私も、この仮説を受容している。
所領の内部では、領主の封建法的支配権にもとづいて身分的に従属する農民を強制労働に追い込んでおこなう農業生産が組織されていた。直接的生産過程における労働の形態が――隷農制や奴隷制など――どのようなものであれ、市場での利潤=剰余価値の領有をめざす生産組織は、資本主義的性格をもつということだ。世界市場論ないし世界経済論的文脈に位置づけるならば、このような歴史的評価となるのだ。
この見方に対しては、「労働力の商品化」「自由な労働」なるものを資本主義的生産様式の本質的指標と見なす立場から批判が寄せられてきた。この立場の違いは、《剰余価値の領有》――商品貨幣形態での剰余労働の領有――を資本主義的生産様式の決定的要因と見なすのか、それとも労働形態をそう見なすのかという視点=基準の相違によるものだ。だが、歴史認識としては、私たちの見方が断然優位に立っていると考える。
私たちの見方では、「封建的生産様式」なるものの典型とされてきた領主直営地での農業経営は、むしろ資本主義的世界経済ないし世界市場の形成に照応した経営様式となる。⇒この問題の理論的説明へ / ⇒農業経営環境の歴史的変動の説明へ
そして、今ここで分析しているブルボン王朝下でのフランス王国の農業は、どれほど封建法的残滓が絡みついていようと、すでに資本主義的世界経済にすっかり包摂された再生産構造のなかに置かれたものなのだ。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成