第7章 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
――辺境からの離脱の試み
この章の目次
王権装置の再編を見てみよう。
まず、大貴族が仕切る王の顧問会議 Riksråt から、常設の組織として枢密院 Riksrådet が自立していった。枢密院は、旧来のように王を掣肘する有力貴族層の代表=協議機関としての性格を急速に失い、《国家装置としての王》の権威に直属する高位の行政官たちからなる官僚装置(行政の管理中枢)になっていった。名目上はこれまで通りに顧問会議が統治権力を保持――王と分有――するものとされたが、実質的には王の直属装置=枢密院と王国評議会に権威が移されていった。
グスターフの顧問会議を主宰した宰相 Rikskansler アクセル・ウクセンシェーナは、おおむね1634年までに行政体系全体を5つの部門――5つの位階の首席指導者によって総括される――に整序編成し、貴族官僚を登用した。
王国大法官 Riksdrots (官房総長) |
王国の最高法院の首席判事で司法全体ならびに廷臣廷吏(書記官)の人事と業務を総括する |
王国軍政総監 Riksmarsk |
軍政寮 Krigskollegium の長官で、陸上軍全体を統括するとともに大都市と宮廷の警護の最高指揮官 |
王国海軍総督 Riksamiral |
提督寮 Admiralitetskollegium (王立艦隊司令部)の長官で、海軍の艦隊の総司令官 |
王国宰相 Rikskansler |
枢密院の首席顧問官で、立法と行政ならびに外交を統括する |
財務総監 Riksskattmästare |
政府の歳入歳出を管理し、王室財務寮 Kammar-kollegium を総括する |
王国は24の州( Län をもとにした地方行政単位)に区分され、各州には貴族層から補任される州監察官 Landhävding
が置かれ、州軍制と兵站の運営管理に責任を負った。また、近代的な教育制度が組織化され、王権と統治階級を正統化する思想や「神話」がイデオロギーとして浸透させられた。
王国評議会も性格を変えていった。王国評議会の立法手続きと構成は1617年に法典化された。この王国評議会令 Riksdagsordning
は、貴族評議会の投票権=議席を126人の有力貴族だけに限定し、評議会の構成員を粗野で無秩序で気まぐれな貴族の徒党集団から、規律と秩序にしたがって討論し政策を検討する国民的集会に転換していった。1626年の貴族院令
Riddarhusordning は、法制上、貴族を3つの階層に区分して上級貴族の資格特権を厳格に定め、身分集会としては総体として単一の議院=貴族院
Riddarhus にまとめられた。
貴族制と身分秩序は王国の統治組織の編成形態に直接結びついていたがゆえに、国家組織の再編は身分秩序の組み換えをともなうことになったのだ。。
それ以降、貴族院は王国評議会では、制度上もほかの3身分集会――聖職者代表院・都市代表院・農民代表院で、これらはやがて統廃合されて庶民院となる――に優越する支配的な軸心になった。彼らのうち1人(有力貴族)が総長として王から指名され、貴族院の代表となった。他方で、これまで慣習的に、聖職者代表の大司教は3つの身分集会――聖職者代表院・都市代表院・農民代表院――の総裁=代表として振舞っていたが、やがて、各身分集会は各自の代表者を選出するようになった。
各院の身分集団は別の議事堂で審議した。王の諮問に対する返答について各院の表決が分かれた場合は、王が最適な意見を選択した。グスターフ・アドルフ2世の治下では11回の評議会が召集され、ポーランドおよびドイツでの戦争で増大する戦費を調達するための方法を検討した。
ここで、ウクセンシェーナをはじめとするスウェーデンの大貴族層のきわめてブルジョワ的な経歴について触れておこう。彼らは名門の貴族家系に生まれたが、その多くがドイツやネーデルラント諸都市の大学や軍学校で教育を受けた。当時、それらの大学は世俗化していて、各地の富裕商人や地主貴族の師弟が集まっていた。とりわけネーデルラントや北ドイツ、ラインラントの諸学校ではブルジョワジーやプロテスタント派の影響が強かった。
スウェーデン貴族はそうした影響を受け、ヨーロッパ各地の有力者や支配階層との関係を築きながら、統治の専門家としての教育を受け、開明的な思想と教養を修得した。そのあたりが、フランスなどの旧弊な大貴族層とは違って、進歩的な意識や政治的指向性をもつゆえんだった。
ウクセンシェーナはその兄弟たちとともにロストック、イェーナ、ヴィッテンベルクの各大学で教育を受けたのち帰国して、カール9世の侍従官 Kammarjunker となった。その後、スウェーデンと域外諸君侯との交渉使節として活躍し、ヨーロッパ諸国家体系のなかでの王権の生存競争をめぐる権謀術数を学んでいった。
ウクセンシェーナは、域外で軍事作戦を指揮するグスターフ2世――バルト海を渡って大陸での戦役はやがて三十年戦争への参戦に結びき、以後、グスターフは戦死するまで帰国しなかった――のために、厳しい財政を切り盛りして陸上軍と艦隊の装備を供給し続けた。グスターフ・アドルフの治世で艦隊への支出は6倍に増加したという。こうした急速な王政装置の拡張は、域外への軍事的膨張の基盤を用意した。この時期に、スウェーデン王権のバルト海での目覚しい膨張と本国での諸身分の妥協(利害共同)に立脚した統治の発展とを見ることができる。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成