第7章 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成
――辺境からの離脱の試み
この章の目次
スウェーデン域内では商品経済の浸透も弱く、都市も貧弱で域内商人の成長も芳しくなかった。他方で、フランスのように深刻な貴族層内部の分裂敵対や目立つほどの所領経営の危機もなかった。そして、王権の貴族連合への依存は非常に大きかった。このように、ヨーロッパの辺境スウェーデンには近代的=集権的な王政が形成される条件が見当たらないにもかかわらず、ヴァーサ王朝は将来の国民国家の基盤を形成できた。では、ヴァ―サ王権の成功の原因はどこにあったのか。この逆説を生み出したいくつかの要因に目を向けてみよう。
成功要因の1つめは、バルト海方面の独特の軍事的・地政学的環境だった。
すでに見たように、1520年代にはクリスチャン2世治下のデンマーク王権による威圧が強まった。この時期にヴァーサ家のグスターフ・エーリクソンの周囲にスウェーデンの貴族層、そして都市住民、農民層を結集させた要因は、デンマーク王の宗主権の強化への抵抗だった。貴族層を中核とする住民集合としての王国の独立という諸身分・諸階級に共通の目標が与えられたのだ。
そして、クリスチャン2世に対するスウェーデン王権の戦争を財政的に支援したのは、やはりデンマーク王権と敵対しているリューベックだった。リューベックは、自らの海運通商の優位を脅かすデンマーク王権の力を削ごうとしたのだ。リューベックは優れた装備の艦隊を派遣し、軍事的にもヴァーサ王権を支援した。
スウェーデンの有力諸都市の多くは、もともと北ドイツ商人が主導して建設してきたうえに、鉄や銅の採掘・精錬などの製造業、都市の製造業と商業もドイツ人の指導のもとで成長してきたことから、伝統的に北ドイツ都市とスウェーデンには親近感が強かったという事情もあろう。
スウェーデン王国が単独では対抗できそうもないデンマーク王権の力をいわば包囲するような力の配置が、この時期にバルト海南西部に生まれたということだ。
こうして1523年、スウェーデン王国がカルマル同盟から離脱し独立した。しかし、ヨーロッパ貿易におけるハンザ同盟の相対的な衰退のなかで、リューベックは当面の最大の敵デンマーク王権に対抗するためにスウェーデンを支援し、政治的・軍事的自立を達成させた。ところが、これによって、やがてバルト海で恐ろしい軍事的脅威となっていく王権を育ててしまったのだ。
しかも、すでに見たように、王権樹立の十数年後、スウェーデン王権がある程度成長した局面で、リューベックとハンザ同盟の権力の後退が明白化するとともにネーデルラント諸都市の商業資本が勃興してきたため、今度はスウェーデン王権がネーデルラント諸都市と同盟してリューベックの通商権力から自立化するのに有利な状況が生まれた。バルト海での力関係の変化が1520年代から30年代に集中的に起きたという意味では、タイミングの良さに恵まれたということだ。
要因の2つ目は、社会構造の人口学的要因、そしてそれと結びついた貴族層の特殊な存在構造だ。
ペリー・アンダースン によれば、17世紀初頭、スウェーデン王国の人口は約130万で、スウェーデン本領域内に90万、フィンランド公領に40万がいたが、人口の半分から3分の2は森林に暮らす住民だったという。そのうち、貴族は400~500家族だった。彼らの所領の規模も小さかった。つまり、社会のなかでの貴族層の勢力はきわめて小さかった。
1626年にグスターフ2世治下でウクセンシェーナが貴族院メンバーを制度的に確定するために、所領の規模を調査しその境界を確認したところ、審査に合格したのは126家だけだったという。そのなかで25ないし30家系が顧問会議のメンバーを輩出する大貴族として最有力のインナーサークルを形成していた。王権はこれら有力貴族の集団と同盟し、権力を分有せざるをえなかった。そして都市勢力(商人層)も弱小で、有力貴族に対峙する力をもちえなかった。〔cf. Anderson〕
王権としてもまた有力貴族連合に対決するさいに、支持基盤として都市勢力に期待することはできなかった。とはいえ16世紀末から、カール9世の政策――商工業の育成と大貴族への対抗勢力の育成のために――で貴族層には多くの富裕商人が入り込んでいた。ネーデルラントや北ドイツからやって来た富裕商人は、王権から通商上、産業上の特権と爵位を与えられ、貴族層の有力な一角を構成しながら王室財政と王国経済の運営に携わっていた。
中世以来、ヨーロッパ大陸に比べて、小さな所領しかもたない大多数の貴族はごく小さな家政装置と軍事力しか保持できなかったから、さらに農民の自立性も大きかったので、領主が地方で分立割拠するという秩序が形成されることもなかった。16世紀以降になると、ヨーロッパ規模での領域君侯のあいだの競争のなかで、貴族層は経済的地位や社会的威信を維持するために王国として連合結集し、域内でデンマーク王に対抗する王権の周囲に強く結集するしかなかった。
一方、王権は小規模の貴族家臣団しか組織できなかった代わりに、小規模だが高度な凝集性を備えた王権装置で域内統治をまかなうことができた。少数で強く結集した貴族層は、ときにはその上層が王と対立することもあったが、王権による集権化にたやすく順応しながら王権装置の自発的な担い手となって、王権の運動方向や運営様式に側圧を加えながら、自分たちの利害に近づけていった。所領からの収入が少ないがゆえに、王からの俸碌は貴族層の家政財政を支える有力な手段だった。王権の早期の勃興と相対的な強さは、こうした状況から生まれた。このような諸要因が、その後のスウェーデン王政の展開を制約した。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成