第8章 中間総括と展望
この章の目次
イタリアは中世晩期にはヨーロッパの商工業の中心地になっていた。14世紀まで北イタリア諸都市は、互いに競争しながらヨーロッパ人による地中海世界貿易を独占していたので、15世紀末までにそこに蓄積された資本や製造技術、通商経験は膨大なものだった。そして多数の有力都市は自らを中核として「都市国家」を形成し、周囲の小都市や農村、領主所領をその支配領域に吸収統合していた。
だが、この地域では多数の小規模な都市国家が分立抗争していて、この地は膨張しつつある域外の有力な君侯たちの征服欲望の前に無防備に開かれていた。1494年、フランス王シャルル8世がイタリア遠征を開始し、フィレンツェに入城した。翌年には、イタリア諸都市の君侯たちが同盟してフランス王権の支配に抵抗した。同じ年に、アラゴン王領だったナーポリがフランス王軍に攻略された。
だが、1504年にはナーポリはふたたびアラゴン王領になった。このときすでにアラゴン王家とカスティーリャ王家は合同して、エスパーニャ王権を形成していた。エスパーニャ王権とフランス王権はイタリアでの勢力争いを繰り広げることになった。その頃、アヴィニョンから教皇が帰還した教皇庁が、イタリア中部で教皇領の権力の拡張を開始した。そして、ヴェネツィアは海洋支配から内陸の統治にスタンスを移していた。
ところで、このときイタリア諸都市は域外王権による支配に強く抵抗しなかった。むしろ、政治的・軍事的分断状況のなかで有利な庇護者=身売り先を求めていたのかもしれない。というのは、イタリア諸都市の手元に残されたカードは乏しくなっていたからだ。何よりも、ヨーロッパ遠距離交易をめぐる状況が変化していた。15世紀末から、オスマン帝国の東地中海への勢力圏の拡大とポルトガルのインド航路開拓で、莫大な利潤をもたらす香辛料の入手経路であったレヴァント方面の貿易が一時的に収縮していた。しかも、ヨーロッパにおける南と北の2大貿易圏が融合していく状況のなかで、貿易と製造業の中心は北西ヨーロッパ(ネーデルラント)に移り始めていた。
ヨーロッパの軍事的・政治的環境も変動していた。イングランド、カスティーリャ、フランスでは強大な王権が国家形成(または帝国形成)を進めていたのだ。ドイツでは神聖ローマ帝国レジームのなかで、弱小な領域国家群が入り乱れて生き残り競争が激しくなっていた。このように、軍事的闘争の規模と強度が増大していくヨーロッパ諸国家体系のなかでは、軍事的・政治的単位としては、北イタリアの都市国家はもはや小さすぎることが明白になった。
ジェーノヴァやフィレンツェなどは、レヴァント貿易の収縮による損失を穴埋めするため、貿易拠点を西に移しながら、イベリアや北西ヨーロッパへのより強固な通商アクセスを求めていたし、イタリアの都市国家よりもはるかに強大な諸王権のあいだの争奪闘争のなかで、強力な権威による安全保証を求めるようになった。
さて14~15世紀には、ヨーロッパ貿易の軸心がネーデルラント方面に移動するにつれて、北イタリアからアルプス東回りに南ドイツ、ライン地方を経てフランドルに向かう通商経路が発達していった。そのため、ヴェネツィアやミラーノと結びついた南ドイツ、スイス地方、ライン地方の諸都市が急速に成長していた。
おりしも、ボヘミア、ハンガリー、オーストリアの鉱山が急成長し、中欧の商人たちがヴェネツィアをつうじて貴金属をヨーロッパに提供していた。このような状況のなかで、アウクスブルクのフッガー家あるいはヴェルザー家のような巨大な遠距離金融商人が台頭した。中欧のハプスブルク大公家は、この地域を名目的に支配し、強い影響力をおよぼしていた。そこで、15世紀末から16世紀前半のハプスブルク王朝の膨張にともなって、フッガー家などの大商人の金融ネットワークも広域化した。
おりしもこの時期には、地中海では貴金属の供給が不足していた。商品流通の膨張に見合った量の貴金属の増加がなかったのだ。エスパーニャへと活動空間を拡大したジェーノヴァ商人はイベリアや北アフリカで活躍していて、ポルトガル以外に金銀地金の供給地を求めていた。ところが、エスパーニャ王室の財政は軍事費と宮廷費の膨張で逼迫し、その通貨の価値が下落していった。しかも、貨幣地金が不足し始めた。こうして貴金属地金が高騰し、決済手段の不足で貿易が収縮しかけた。
この危機は深刻で、エスパーニャ在住のジェーノヴァ人も、遠距離貿易や金融業者としてイベリア方面の経済の各部面に食い込んでいたから、大きなダメージを受けた。そこに15世紀末から、偶然だがあたかもあつらえたかのように、大量の貴金属がカスティーリャに流入してきた。それは、エスパーニャ王室の特許事業としてのアメリカ大陸の探検と侵略によって原住民から掠奪した財貨だった。その貴金属は、ジェーノヴァの商人を中軸とする資金循環と金融ネットワークをつうじて王室からヨーロッパ中に流通していった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成