第8章 中間総括と展望
この章の目次
さて、これまで見てきた時代には、世界市場で資本蓄積競争の最有力の担い手は、貿易を営む都市の富裕商人層だった。してみれば、17世紀後半の時点で強力な国家とは、世界市場競争のなかで域内の商業資本のブロックを有効に支援できる軍事的・政治的組織のことだった。この点で効果を発揮しなかった王権は、どれほど広大な支配地をもとうが、どれほど強力な軍事力をもとうが、結局のところ世界経済と諸国家体系のなかでは大した意味がなく、財政的基盤を失って長期的には没落し、政治体としての自立性を失っていった。エスパーニャとポルトガルを見よ。
ゆえに、領域国家ないし王権国家の統治階級のなかに域内商業資本の政治的ブロック(最有力グループ)を組み込むことが、国家としての権力の強さと安定の決定的条件だった。王権の指導者たちに商業資本との同盟の必要性を痛感させるためには、域内の商業資本(富裕商人層)が経済的支配階級として政治的に結集していなければならなかった。言い換えれば、さまざまな都市を基盤とするがゆえに異なる産業を支配しているさまざまな商業エリートたちが、共通の利害を意識してひとつのまとまった政治的ブロックとして行動し、その政治的結集に好適な制度――たとえば王室と結びついた特許会社――を構築できたかどうかが、自立的で強力な国家の成立を左右する条件であった。
そのような条件に恵まれた王権や領域国家は、域内で商業資本との同盟を築き上がるだけでなく、同じように有力貴族層――商業化に対応できた地主貴族層――との同盟をも組織していた。
ところが、商業資本の政治的結集のためには、結集の基盤ないし骨格となるような王権や都市間の権力ネットワークの存在が前提となっていた。
まず王権の性格や行動スタイルとしては、地方貴族層の権力を抑制できるほどに強い権力や権威を保持していて、貴族層に一方的に免税特権を許すような体質を脱却していることが求められた。王権は、都市への課税を抑制して商業資本の経営活動の拡大再生産を支援し、貴族層の土地経営の商業化や効率化を促すような資産課税制度を導入する必要があった。
この点で、イングランド、ネーデルラントとエスパーニャは対極にあった。エスパーニャ王権は都市を財政的収奪の対象とし続けたため、域内の経済の成長はやがて停滞し、域外への従属が深まっていった。
都市間の権力ネットワークとは、最有力の都市による域内諸都市の支配をもたらすヒエラルヒーであって、つまり都市間の垂直的な分業が形成されているということだ。域内各地の商人団体・諸都市のあいだの階層序列関係であって、世界貿易での優位を競うことができるような中心都市が域内の諸都市・諸地方と諸産業を支配統制する構造としてできあがっている状態だ。
それは統治秩序のなかで1つの特殊な都市――アムステルダムやロンドン――が独特の優位と権力を保有する構造であって、王権はその財政的基盤を強化するうえで、最有力な商業資本と同盟するしかない状況にあるということで、従前からの支配階級である地主領主と富裕商人層との利害共同化に向けた動きをともなっていた。
商人たちがひとつの政治的階級として結集するような行動スタイルや心性は、有力な商業資本家層が国家装置の内部と周囲に組織化されることで形づくられるものであった。国家装置の内部での組織化とは、富裕商人家門の出身者たちが王権の高官に取り立てられるということであって、周囲での組織化とは身分評議会(議会)への都市代表の結集であった。身分評議会という制度の成長は、他方で――地方ごとに分立しがちな傾向をもっていた――貴族身分がこれまたひとつの政治的階級として王権の周囲に結集する行動スタイルや心性を身につけていく過程でもあった。
要するに、国家装置の成長と商業資本や地主貴族の意識と行動は、相互作用的だったのだ。そして、この相互作用は累積的な効果をもち、長期間には大きな構造転換をもたらした。
イングランド王国では、13世紀以降、とりわけ百年戦争後に、貴族層と都市の富裕商人層は、少なくとも数年に一度、王の課税政策――それは戦争政策と結びついた財政運営全般にかかわっていた――について諮問するための大評議会に身分代表を選出し、王国全域でそれぞれひとつの身分集団として結集する機会を得ていた。貴族層も富裕商人層も、それぞれ政治的に結集した階級として王室財政の運営に関心を向けるようになっていった。貴族層は、貨幣経済の浸透に対応して自ら所領土地資産への課税(資産価値査定)方式を検討するようになった。
これに対して、フランス王権は1518年からおよそ1世紀近くのあいだ総評議会を召集・開催しなかった。王権は貴族層の圧力を受けて彼らの免税特権を認め続ける一方で、相次ぐ戦役のための費用を都市や農民への追加的な課税によってまかなおうとした。ところが、総評議会を召集・開催すると都市代表の身分集会は王の課税政策(増税)に強硬に反対した。貴族層は免税特権によって守られていたので、王室財政の運営や課税制度には無関心だった。そこで、王権は王国全般の課税制度の改革をあきらめて、総評議会を召集しなくなってしまった。
およそ1世紀間、王国全体としての身分評議会が開催されなかったため、諸都市の代表(富裕商人層)も地方貴族層も、それぞれ自らをまとまった国民的階級として政治的に結集し行動する場を失ったままだった。貴族層や諸都市の地方分立性を克服する機会は失われ続けた。
商業資本の蓄積にとって、王権や領域国家はいつも促進的効果・支援効果をおよぼすとは限らなかった。たしかに領域国家の軍事的・政治的能力はその財政的能力に裏打ちされなければならないし、財政的能力の大小、そして持久性は、国家が支配する域内の経済的力量に左右される。とはいえ、このことは、国家形成の担い手や領域国家の統治階級にとっては自明なことではなかった。幸運にも試行錯誤をつうじてこの経験則を学び取ることができた統治階級と国家だけが生き残り、飛躍することができたのだ。
人類は、世界市場における商業資本と国家との癒合が生み出す恐るべき威力を歴史的経験のなかで思い知らされることになった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成