第8章 中間総括と展望
この章の目次
フランスでの王権形成と集権化は、進んだと思えば壁にぶつかるという趨勢をくりかえした。
百年戦争でプランタジネット(イングランド王家門)派の勢力を大陸から駆逐したヴァロワ王権は、15世紀半ば以降、集権化と域内統合を進めた。だが、15世紀末から始めたイタリアをめぐるハプスブルク王朝との無益な消耗戦で、16世紀半ばに王室財政は破綻してしまった。その後、ヴァロワ王室は衰退し始め、有力貴族派閥の勢力争いの結果、頑迷なカトリック派のギュイーズ家門によって宮廷を牛耳られるようになった。
おりしも、フランスでも各地にプロテスタンティズムが浸透し、王権の衰退にともなって各地方の分離主義的傾向が強まっていた。宗派のあいだの敵対関係が深まる状況下で、ギュイーズ家門に率いられたカトリック同盟派は宮廷に結集し、熱狂的なカトリシズムを旗印として集権化のために地方貴族の権力を切り崩し始めた。
貴族層は分裂・対立し、ギュイーズ(強硬なカトリック)派による統合への反発からか、反王権派貴族はユグノー派に結集した。また、南部の諸都市でも王権による集権化への抵抗のなかで、カルヴァン派が浸透した。これに対して北東部の諸都市では、富裕商人層に対する下層民衆の敵意や困窮による憤懣が、カトリック派の教唆と扇動によって破壊と掠奪に誘導され、反乱が続発した。
こうして、宮廷と地方都市の対立、貴族層内部の権力闘争、都市の階級闘争が宗教的熱情によって増幅されて、それまでの統治秩序を掘り崩すほどの紛争に発展してしまった。この宗教戦争のなかでヴァロワ王朝は断絶し、王位継承をめぐる紛糾と宗教的敵対とが絡み合ってしまった。
結局、表向きはユグノー派の指導者だったアンリ・ドゥ・ブルボンが王位を得て、ブルボン朝王権が成立した。アンリは王位の確保と域内平和のため、いとも簡単にカトリックに改宗した。このブルボン王権の統合政策によって、宗教的な熱情からさめた貴族層が反乱から身を引くと、民衆の闘争も宗教色を薄め、反貴族・反王権の色彩を強めた。王と貴族は同盟して、民衆反乱を鎮圧し、王権統治装置の拡張が進展した。
17世紀半ばまでに、ブルボン王権は規模としては巨大な国家装置を形成することができた。だがそれでも、国家装置の規模と力量は領土の広大さから見ると、すこぶる不十分だった。しかも、統治階級は分裂していた。分裂は、とりわけ土地経営と土地課税をめぐる宮廷と地方貴族の対立という形で現れていた。
イングランドのコモンロー法体系では、15―16世紀の状況のなかで新たに生じた地主領主の要望に応じて、土地保有をめぐる権利や税制を土地の商業的利用に合わせるように修正することができたけれども、フランスではそれがむずかしかった。
王権は貴族所領への課税を強化したが、貴族も土地からの収入を維持しようとした。結果として、農民への搾取を強化することになり、農民の憤懣は貴族の地方特権に向けられそうな情勢だった。ゆえにフランスでは、都市と農村への増税をはかる王権に対して、土地貴族層は自らの利益を守るために政治的に反抗的・好戦的になるしかない面もあった。彼らは、農民の闘争を王権に向けようと画策した。
貴族層は王権派=集権派と地方分立派とに分裂した。16世紀には、宮廷で有力になった貴族集団がどの家系に属すかで、両陣営の境界線は変更された。対立する家系や貴族集団が宮廷で影響力を強めれば、王権派貴族のなかには、反王権=地方分立派に鞍替えした者も多かった。それに宗教紛争が絡んだのが、ユグノー戦争だったのだ。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成