第8章 中間総括と展望
この章の目次
さて、以下の概念や用語についての説明や用語成立の歴史的背景については、論述の各所ですでにおこなっているが、この編の最後に要約的にここで説明しておく。
領域国家、絶対王政、社団国家
さて、領域国家にしても、絶対王政にしても、社団国家にしても、中世晩期から近代にかけて出現したさまざまな政治体を説明する概念・用語としてはかなり不十分だ。どの用語も、近現代国家をもとにして、それを最高の進化形態と見る方法から後知恵的に案出されたものでしかない。とりわけ、領域国家はより正確には「領域王政」「領域君主政」というべきであって、国家という状態をなしていないともいえる。
古代から中世にかけて中国大陸やヨーロッパでは、国家とは、皇帝や王侯などの君主の家産組織や家政装置――直轄領の統治組織――を意味していて、帝国や王国、侯国全体を意味する語ではなかった。というよりも、帝国や王国、侯国は最有力の君主に名目的に臣従する下位の諸王、諸侯の人的同盟・連合関係を意味するだけのものだった。
それが、ヨーロッパ中世晩期(12ないし14世紀以降)からの都市国家や領域君主政によって、名目上の支配圏域のなかで、自分と対等ないし自分よりも上位の権力を認めない「主権」「君主大権」などの観念が発達し、域内の排他的な支配をめざす観念が発達し、やがて絶対王政などを経てブルジョワ国民国家が形成されていく過程のなかで、国家の意味がしだいに変容転換していったのだ。主権という観念もいましがた述べたように、意味する内容が歴史的に変移してきたものなので、「主権国家」なるものについても、その成立時期については曖昧模糊としている。
このような文脈においては、私が論文のなかでドイツ国家論や国家史学の伝統に倣って「ヨーロッパ諸国家体系」という語を用いるのは正確ではないということになる。しかし、これに代わる用語を案出できないので、留保付きで使用している。
したがって結局のところ、歴史研究者は、そういう歴史的な背景をもつ「でき合いの」の用語を概念やカテゴリーとして使うしかないのだが、研究者はこういう「でき合い」の用語を説明や論証のための概念・用語としてそのまま――具体的な歴史的内容を吟味しないで――使うことはできないということだろう。しかし、それら以上に適切な用語がない限り、これらの用語が包含する具体的な歴史的内容を提示し、どのような歴史的内容を意味するか明示しながら、内容的に曖昧・貧弱なこれらの用語を使うしかないということになる。
国民、国民形成
上記と同じような用語の意味用法の変遷は、当然のことながら「国民 nation 」という語にもある。私がここで用いた「国民」なるものは、日本のマスメディアや政治の世界で使われている「国民」とは別のものだ。
中世晩期の君主政や王政の形成過程において、「国民」の語源や母体となった語として natio, gens などという語があった。これらは、君主の統治を補佐し助言を与える役割を期待された、有意な資産と担税能力をもつ貴族層や聖職者層、都市代表となった富裕商人層で、それぞれに特権的な身分団体を構成しながら、君主の諮問組織としての身分評議会に結集して統治に参加するものとされていた家門・人間集団を意味した。
これらの語の歴史的文脈を考えずに現代英語に訳せば、 nation, native people となるらしい。和訳すれば「国民」「(その地に生まれ育った)人民」となるだろう。
natio, gens もともに「自然状態や人間を含めた生物の誕生」や「生まれ」を意味する語で、nature, native, genesis などと語源を共有するのだという。領域君主政や領域王政の形成にさいしては、貴族や特権商人などの家門・家柄に生まれて「生まれながらにして君主の統治に参加する権利をもつ人びと」という意味内容になった。
現代のヨーロッパや北アメリカ、日本などに生活する私たちは、原則上、市民権が国家の全住民に認められている状態が当然だと意識しているので、「国民」と「国家市民」ないし「住民」との明確な区分をほとんど気にすることはない。
だが、20世紀はじめまでは、市民権(ことに参政権)は統治秩序や国家によって限定的に付与された特権であって、それを保有する人びとは特定の――高い身分や大きな財産を保有する――家門・家系に属す少数の特殊な人間集団であった。原則として、この集団には女性は含まれなかった。
したがって、「国民」という語の意味内容は、領域王政や近代王政の形成過程、さらに市民革命などの「民主化」の過程をつうじて、きわめて少数の特権身分集団というものからしだいに膨らんできて、やがて国境の内部の女性を含む全住民へと拡大されてきたのだ。以上からすると、完全な意味での国民国家が成立したのは20世紀ということになるかもしれない。
それゆえまた、国民国家がいつ、どの時点で成立したかについて指し示す、画然たる標識をつけるのはきわめて難しい。私は国家という政治的統合の枠組みとしての国民 Nationalrahmen がつくり上げられたであろう時期を国民国家の成立期と見なしている。
ドイツでの国家導出論争については、第1章で述べたが、これに関して1点だけ気がかりな問題があるので、ここで触れておく。
これまでの考察が対象とした時期のあとに、国民国家によって政治的に総括された経済構造としての「国民経済」がヨーロッパ各地に形成され、諸国民が世界市場で競争し合うシステムが出現することになる。その過程の研究にさいして私たちの主要な関心は「国民国家」にある。ところが、この国家は「古典的なマルクス派」が漠然とイメイジしていたものとはかなり違っている。というよりも、古典的なマルクス派は歴史的な構築物としてのブルジョワ国家、まして国民国家について、明確なイメイジをほとんどもち合わせていなかったのだ。この点について《資本》におけるマルクスの到達点から一瞥してみよう。
到達点といっても、マルクス自身は《資本》の研究をまとめることなく死去し、膨大な草稿が残されただけだった。そのため、《資本》の第1巻の中ほど以降の叙述の論理構成はかなり混乱していることを前提しての話である。
《資本》でマルクスは、ブリテンを対象と想定する総体としての資本の再生産の総過程を分析しながら、その社会の主要な階級として地主、資本家、労働者階級の3つが存在するから、敵対的分配形態をつうじて所得は地代、利潤(企業家利得)、賃金に分割されると見ていた。したがって、19世紀のブリテン社会の主要な階級は、①資本家階級――支配的な貿易・金融資本家層とそれに従属する工業資本家層――、②王室や大貴族層を含む地主階級、③労働者階級――いまだに特権的地位の名残りをとどめている職人労働者層と賃金労働者層――となる。
《資本》の第3巻では、貨幣資本の経済的運動として、剰余価値の分配形態としての「利子生み資本」や「地代」の循環が分析対象となっている。ただし、これらの資本蓄積にとっての意味や機能はほんの少ししか分析されていない。
ところが、このようなより現実的な階級構造は、《資本》第1巻の「資本の生産過程」、第2巻の「資本の流通過程」ではほとんどまったく考察されていない。とくに地主階級は、国民的総利潤と総所得の分配関係においてか何がしかの比率を占め、それゆえ資本蓄積や経済的再生産過程の動きに相当に大きな影響力を与えるにもかかわらず、分析されていないのだ。
シティの貿易・金融資本ならびにイングランド銀行と強固に結びついた有力地主層の権力は、ブリテンにおける貨幣資本循環において支配的な役割を果たしていたにもかかわらず、しかるべく考察されていないのだ。
当時のブリテン国家において地主階級の最上層には、イングランド王室を筆頭とする貴族層がいて、王政国家装置のなかでは彼らがいまだ残存する身分秩序のなかで最有力の統治階級の一角をなしていた。そして、資本家階級の最上層にはイングランド銀行を筆頭とするシティの金融会社と大貿易会社があって、その経営陣は、貴族地主層と人脈的に結びついている商業貴族たちだった。
王政国家装置のなかで、彼らは最有力地主としての貴族層と同盟していた。統治レジームのなかで、これらの支配階級は王室を頂点とする身分秩序のなかで各種の特権団体に組織化されていて、国家装置そのものと深く結びついていた。工業(産業)資本家たちは、彼らのはるか下に位置していた。
したがって、国家レジームをめぐっては展開されるような基軸的で主要な政治運動としては、工業資本家と労働者階級との階級闘争は展開されることはなかった。むしろ、生産過程での労働条件(賃金や労働時間、児童労働など)をめぐって商業資本(貿易資本家と金融資本家)に支配された工場経営者と労働者とが激しく敵対していた。貴族や富裕地主、有力商人からなる国家エリート(ジェントルマン)たちは、肉体労働や目先の利潤ばかり追いかける工場経営者を見下しながら、彼らのあまりに過酷な労働者支配と搾取を見咎めて、工場立法を推し進めていた。
しかも、このような事象が、世界市場が国民という政治的・軍事的分割単位の内部で、ブリテンの世界市場支配を前提条件として起きていた文脈については、ほとんどまったく触れられていない。
⇒《資本》の論理構成の限界についての考察を読む
このような政治構造は、《資本-賃労働》という階級関係を基軸としては分析することも説明することもできない。つまり、近代ブルジョワ国家の歴史的考察のためには《資本》の読み直しが必要なのだ。
さて、ドイツの国家導出論争では国家概念の論証についてマルクスの《資本》の出発点にしていたが、ほとんどの論客が《資本》の第1、2巻の叙述だけ――しかも本源的蓄積の部分を度外視して――を土台にして、そこに描かれた資本蓄積過程のありようから、どのような国家や政治的支配の構造の存立根拠を導き出せるかという問題を語っていた。したがって、第3巻に散見されるような地主階級の存在や、彼らとシティの貿易・金融企業家階級との結びつきと影響力、つまり現実の経済的再生産における権力構造はほとんど度外視されていた。
その事柄に言及していたのは、《世界市場的連関におけるブルジョワ国民国家の形成史》についての方法論を分析した、クラウディア・フォン・ブラウンミュール――彼女の論文から私は方法論的に大きな啓発と示唆を受けた――だけだった。
してみると、国家導出論争の原点に立ち戻って、マルクスの《資本》に――混乱し断片化されてはいるけれども――提示された階級構造や資本循環を基礎として、いったいどのような国家観が描き出せるかということは、検討すべき課題だ。
ここに提示してみた研究は、そういう国家論をめぐる課題意識を抱きながら、フェルナン・ブローデルやイマニュエル・ウォラーステインの方法を援用し、《資本》の「本源的蓄積」にある着想からブルジョワ国民国家の形成への道を省察する試みである。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成