第8章 中間総括と展望

この章の目次

冒頭(緒言)

1 商人階級の歴史的位置づけについて

ⅰ 歴史認識の視座について

ⅱ 商業資本の運動形態と蓄積様式の変化

遍歴商業から都市定住経営へ

商取引の膨張と金融市場の出現

属人主義から属地主義へ

ⅲ 世界市場的文脈における商業資本の役割

2 ヨーロッパ諸国家体系と世界市場

ⅰ ヨーロッパ経済の長期トレンド

ⅱ ヨーロッパ諸国家体系とイタリア

ⅲ エスパーニャの植民地帝国と大西洋貿易

ⅳ ドイツ・中欧の危機と政治的分裂

ⅳ ハプスブルク王朝の帝国政策

ⅴ ユトレヒト同盟の独立闘争

ⅵ 帝国政策の破綻とエスパーニャの没落

ⅶ フランスの歴代諸王権の挫折

ⅷ ブルボン王権の集権化

ⅸ イングランドの国家形成の幸運

ⅹ 縁辺からの挑戦――スウェーデン王権

3 ヨーロッパ分業体系と国家の役割

ⅰ 国家(都市国家・領域国家)と商業資本

ⅱ 重商主義の時代

ⅲ 国家の障壁と世界分業

4 世界都市と諸国家体系

ⅰ 世界経済の支配的中心としての世界都市

ⅱ 世界都市と「国民経済」

中世ヨーロッパの出発点

遠距離貿易、世界貿易の成長

都市と領域国家

世界経済の衝撃が国民を生み出した

ⅲ 「経済決定論」を越えて

5 国民国家とは何か

ⅰ 国民国家のイメイジ

ⅱ 世界市場的文脈における国民国家

6 商業資本と領域国家・王権

ⅰ 商人と貴族の政治的結集のための条件

ⅱ 商業資本の権力の伝達経路

ⅲ 王権国家の財政能力

ⅳ 行財政の運営スタイル

統治効果と国家領土の広さ

7 重商主義と国家

8 絶対王政と国民国家

9 このあとの研究への展望

進歩史観、発展史観を超えて

国家論・国家史の用語について

領域国家、絶対王政、社団国家

国民、国民形成

《資本》と国家導出論争について

4 世界都市と諸国家体系

  ところで、ヨーロッパ世界経済は、より規模の小さいいくつかの世界貿易圏の長い期間――14世紀から17世紀――にわたる融合をつうじて形成された。この世界経済の形成過程が始まってからかなりの期間にわたって、この過程を誘導する優越的な地位に立ち、世界貿易を統制し組織化していたのは都市だった。領域国家はまだしばらくは、有力都市に歯が立たなかった。
  だが、北イタリアの盛運は、長期的に見ると地位の低落と従属を準備した。バルト海での北ドイツ諸都市の努力と隆盛もまた、長期的には衰退へのレールを敷いたように見える。
  だが、こうした諸都市の周囲に偶然、すこぶる強力な王権が存在したらどうだったろうか。そうなれば、世界経済の中核は北イタリアやドイツに出現したかもしれない。ところが実際には、中世晩期の状況のなかで地中海やバルト海の沿岸地域(北ドイツ)で成長しかけた君侯権力は、諸都市や商業資本の執拗な妨害に遭遇した。そういう意味では、飛び抜けて強力な都市の周囲には強力な王権が成長しなかった、あるいは強力な王権が出現しなかった地域で強力な都市が成長した、という経験法則は成り立つかもしれない。

  そこでは、都市自体が周囲の領域を支配して国家ないし自立的な政治体を形成しようとするという傾向も見られた。14世紀の北イタリア、北ドイツのヴェンデ地方、16世紀のネーデルラント北部がそれだ。だが、ネーデルラントを例外として、有力諸都市は新たに出現した強力な諸王権にはかなわなかった。
  16世紀、アムステルダムを中核とするネーデルラント諸都市の幸運は、それらが結成したユトレヒト同盟に比べ、いまだ諸王権の財政的権力や軍事力が幼弱だったということだった。そして何よりも、地理的にごく狭い地帯に多数の有力都市が隣接し、固有の政治的結集を組織することができたことだった。
  この政治体=同盟は、飛び抜けて強力な世界都市 Weltstadt アムステルダムによって経済的に支配されていた。周囲の諸都市にとっては、アムステルダムの支配からの離脱は、世界貿易での集団的な優位からの脱落を意味したから(アムステルダムによる報復を度外視しても)、商業と経済の論理からして、ユトレヒト同盟への結集は最優先事項だった。とはいえ、ユトレヒト同盟は集権的国家へ成長していかなかった。

  だがやがて、商業資本の蓄積をめぐる世界市場競争のなかに、はるかに強力で規模の大きい領域国家、しかも世界市場での自らの通商的利害を過剰なまでに強く意識した国家が登場してきた。
  イングランドの歴史的な幸運は、いち早く強力な王権が成立し、そののちにフランデルンとの密接な関係のなかで土着の商人層と製造業が成長したことだった。やがてアムステルダムに追いつき追い越すことになるロンドンは、ネーデルラントや北イタリア諸都市の強い影響力を受けながら、長い揺籃期を過ごしていた。この幸運な都市は、ブルジョワ国民国家の出現・成長とともに強力な世界都市への道を歩むことになった。
  というわけで、世界都市と国家の関係の歴史についても、要約しておかねばなるまい。

ⅰ 世界経済の支配的中心としての世界都市

  フェルナン・ブローデルは、世界貿易や世界経済の中心には飛び抜けた支配力をもつ資本主義的都市が位置していると述べている。エスプリの効いた彼の《世界都市 ville-monde / ville mondiale 》に関する叙述に目を向けてみよう。

  世界経済 Économie-monde は必ず極点をなす都市をもつ。すなわち、その商業活動の兵站中心地に位置する都市である。情報・商品・資本・信用・人間・発注・商用通信文が、そこに流入してはまた出で立っていく。そこでは巨大商人が主人顔をしていて、彼らは度外れに富裕な場合が多かった。
  極点をなす都市の周囲には、多少ともうやうやしげに距離を置いて、いくつかの中継都市が遠巻きに位置していた。それらの都市は、協力関係や共謀関係に立つ場合もあったが、否応なしに二流どころの役割を割り当てられる場合の方が多かった。中継都市は中心都市に調子を合わせて活動したのだ。それらの都市は、中心都市の周りで護衛軍務についたり、商業活動の流れを追いたてて中心都市の方に向かわせたり、中心都市から委ねられた財貨の再配送・輸送を行なったり、中心都市の信用にすり寄るとか、その信用をめぐる支配を受容したりしていた。 ヴェネツィアであれ、アンヴェルスであれ、その後に続いたアムステルダムであれ、単独で存在したわけではなかった。中心都市は従者の列、家来の行列を従えて登場したのだ。 ・・・・中心都市に中小都市を破壊できるわけがなかった。隷従はさせた。それはそうだが、それ以上のことはできなかった。というのも、中小都市からの奉仕を必要としていたからだった。世界都市 Ville-monde が高い水準に到達してこれを維持していくためには、望もうと望むまいと、ほかの諸都市を犠牲にするしかなかった。世界都市はほかの諸都市と似通ってはいたが――都市は都市なのだから――、違いがあった。つまり、超越的な都市だった。そして、世界都市を見分ける第一の目印は、まさしくほかの都市から補佐・奉仕を受ける点にあった。

  ある支配的都市は、永久に支配的だったわけではなく、交代してきた。あれこれの都市が形づくる階層組織の全体にわたって、その頂点を見ても、またどの階位を見ても、交代があった。・・・・アムステルダムがアンヴェルスに取って代わったとき、ロンドンがアムステルダムの地位を継承したとき、そして1929年頃にニューヨークがロンドンを追い抜いたとき、そのつど、ひとかたまりの膨大な歴史が転覆して、それ以前の平衡の脆弱さが、またそののちに打ち立てられるはずの平衡の力強さが明示されるのだった。世界経済の圏域全体がその影響を受け、その反響はけっして経済的なものばかりには限られなかった。

  ヴェネツィア、アンヴェルス、ジェーノヴァ、アムステルダム、ロンドンという、西ヨーロッパの支配的都市の古典的系列・・・・を取り上げてみれば、この系列中のはじめの3都市にあっては、経済的支配のための兵器廠が完全には備わっていなかったことが検証される。14世紀末には、ヴェネツィアは花盛りの商業都市であった。しかし、工業の発達による影響や活性化にはいまだ物足りない印象があり、金融上、また銀行業務上の枠組みを備えていたにしても、この信用体系が機能していたのはヴェネツィア経済の内側でのことでしかなかった。つまり、域内にしか力がおよばないエンジンであった。 アンヴェルスには海運力が欠如していた。・・・・ジェーノヴァは、13世紀、14世紀におけるフィレンツェの前例どおり、銀行業務の面で優位に立ちえたにすぎない。ジェーノヴァが一流の役割を演じたのは、貴金属を支配していたエスパーニャ国王を顧客にもっていたからで、また16世紀から17世紀にかけてヨーロッパの重心が定まらなくて、いわばどっちつかずの状態にあったからだった。すなわち、アンヴェルスはもはやその役割を終え、アムステルダムはまだ役割を演じるところまでいっていなかった。 ジェーノヴァの役割はせいぜい幕間劇に限られていた。アムステルダムとロンドンが登場してはじめて、世界都市は経済力を発揮するための完全な兵器廠を手中にしたのだ。これらの世界都市は、制海権から商業上、工業上の膨張にいたるまで、また信用の全域にいたるまで、すべてを掌中に収めたのだった。
  支配権が次々と移るにつれて、政治力の枠組みもやはり変化した。この観点から見ると、ヴェネツィアは強力な独立国家であった。それは、15世紀はじめに〈内陸領土〉を奪取したが、それは手近にある保護領をなしていた。もともと1204年以来、ヴェネツィアは植民地をわがものとしていたのだ。それにひきかえ、アンヴェルスは、いってみればついに自分の自由になる政治力をいっさいもち合わせることなく終わった。ジェーノヴァは、領土については骸骨にすぎず、この都市は政治的独立を断念して、金銭というもうひとつの支配用具に賭けることになった。 アムステルダムは、相手の意向にはおかまいなしに、いわばネーデルラント連邦の財産を勝手にわがものとしてしまった。しかし、結局のところ、アムステルダムの《王国》には、ヴェネツィアの〈内陸領土〉以上の意味はなかった。ロンドンの登場とともに、何もかも一変した。というのは、この巨大都市はイングランドの国民市場を、さらにのちにはブリテン諸島全体を意のままに利用することができたからだ。 その状態が長らく続いた末に、とうとう世界の規模が変化する時期がやって来て、かつては力の集積をなしていたロンドンは、合州国というマストドンに立ち向かうちっぽけなイングランドにすぎなくなってしまう。〔Braudel〕

  私たちが扱った時期の世界都市について、これ以上みごとな要約は思いつかない。ただし、私たちは、世界都市の範囲をもう少し広げて解釈しておきたい。ヴェネツィアの覇権期とか、アムステルダムの覇権期という、それぞれの段階の世界経済について、ブローデルは、支配的中心をなしている1つの都市だけを世界都市として認定しているように見える。
  だが、私たちは、このような都市に対抗しながら自らの周囲に貿易ネットワーク(と相対的に独自の社会的分業体系)を組織している諸都市についても、また、中核地域に属し、支配的中心の周りでその世界支配の副官を演じる諸都市についても、世界都市の名を冠しようと思う。
  比喩的に言えば、世界経済の中核地域には、有力諸都市を首座とするいくつかの山脈があるということだ。これらの山脈は互いに攻めぎ合っているのだが、なかでもひときわ高くそびえる山脈の頂点が、世界経済のヘゲモニー都市であって、その稜線はほかの山脈にも貫いているのだ。

  ブローデルlの理論で注目すべきは、中心的世界都市は、世界経済の各地域にその権力と支配を中継・伝達する装置としての諸都市を采配しているという見解である。たとえば、アムステルダムはポーランドやオストプロイセンの領主やその直営農場を支配するためにケーニヒスベルクやダンツィヒを権力の「継電器(中継・伝達装置)」としていたという〔cf. Braudel〕
  つまり、世界経済の頂点に立つ中心都市の下位には、その近傍で中心都市を補助する強力な都市群が配置され、周縁部には中心都市の支配と収奪を中継する有力諸都市が配置されているのであって、中心的世界都市は多数の諸都市からなるヒエラルヒーをつうじて世界経済の全域に影響力をおよぼしていたのだ。

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世界経済における資本と国家、そして都市

第1篇
 ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市

◆全体目次 章と節◆

⇒章と節の概要説明を見る

序章
 世界経済のなかの資本と国家という視点

第1章
 ヨーロッパ世界経済と諸国家体系の出現

補章-1
 ヨーロッパの農村、都市と生態系
 ――中世中期から晩期

補章-2
 ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
 ――中世から近代

第2章
 商業資本=都市の成長と支配秩序

第1節
 地中海貿易圏でのヴェネツィアの興隆

第2節
 地中海世界貿易とイタリア都市国家群

第3節
 西ヨーロッパの都市形成と領主制

第4節
 バルト海貿易とハンザ都市同盟

第5節
 商業経営の洗練と商人の都市支配

第6節
 ドイツの政治的分裂と諸都市

第7節
 世界貿易、世界都市と政治秩序の変動

補章-3
 ヨーロッパの地政学的構造
 ――中世から近代初頭

補章-4
 ヨーロッパ諸国民国家の形成史への視座

第3章
 都市と国家のはざまで
 ――ネーデルラント諸都市と国家形成

第1節
 ブルッヘ(ブリュージュ)の勃興と戦乱

第2節
 アントウェルペンの繁栄と諸王権の対抗

第3節
 ネーデルラントの商業資本と国家
 ――経済的・政治的凝集とヘゲモニー

第4章
 イベリアの諸王朝と国家形成の挫折

第5章
 イングランド国民国家の形成

第6章
 フランスの王権と国家形成

第7章
 スウェーデンの奇妙な王権国家の形成

第8章
 中間総括と展望