第8章 中間総括と展望
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ところで、ヨーロッパの社会的分業体系、経済的再生産をめぐる社会関係は、国境や国家の統制・組織化力能を超えて形成されていた。国家が打ち立てる障壁はいわば穴だらけで限界が多く、相対的なものだった。ゆえに、イマニュエル・ウォラーステインが提示した《中核-半周縁-周縁》という支配=従属関係をともなう世界経済の階層序列構造は、直接的には国家の領土的境界線にかかわりなく貫徹し成立しているのだ。
つまり、世界分業での位置づけは国家を単位とするわけではないということになる。同じ国家の領土内にある諸地方・諸地域の世界経済での地位が異なるわけで、しかも、国家が権力秩序であって内部に支配=従属関係をともなう限り、国境の内部にも〈中核-半周縁-周縁〉――搾取する地方と搾取される地方の関係――が形成されている。
このような視点から17世紀末頃のヨーロッパを眺めてみよう。
すると、中核に位置するのは、アムステルダムを軸心とするネーデルラント北部諸州の有力諸都市で、その周囲の農村部は半周縁的地位に置かれていたが、近郊農業経営は豊かな諸都市の旺盛な消費欲求と支払能力の恩恵を受けていた。アムステルダムを追いかけるロンドンを中心とするイングランド南東部もまた中核に登りつめる道を歩み始めていた。イングランド南部の港湾諸都市はそれに次ぐ地位(準中核とでも呼ぶべきか)を獲得していた。しかし、そのほかの地域は半周縁に属していて、スコットランドとの辺境地方やウェイルズ地方は周縁に属していた。アイアランドは同じ周縁でも、さらに従属的な地位に追いやられていた。ところが、それらの都市は蓄積してきた富や市域内の多様な製造業の技術などのおかげで、かなり高い地位を保ち続けることができたようだ。
フランスは諸地方ごとの相違がいっそう著しかった。北東部、つまりパリ近辺とフランデルン地方はかろうじて中核に位置することができたが、そのほかの諸地方は概して半周縁に位置づけられた。リヨンは、16世紀にはジェーノヴァ商人の影響下で準中核として地位を得たかに見えたが、17世紀の危機のなかで後退して半周縁のなかの有力都市となっていた。ギュイエンヌ地方では有力都市ボルドー周辺の農村部には半周縁の下層ないし周縁に属すところもあった。ラングドックやブルターニュ地方も似たようなものだった。
スウェーデンはストックホルムやイェーテボリなどの諸都市は、ネーデルラント企業の商業や鉱工業が配置された特異な「経済的飛び地」をなして半周縁の上層に属していたが、スコーネ地方などの南部は半周縁、北東部は周縁に属していた。
ネーデルラント、イングランド、フランス、スウェーデンはどうにか国家を構築していて、ネーデルラントは飛び抜けた通商権力を保有し、残りの3国はそれなりの保護障壁を築き上げようとしていた。
では、「自立的な国家」を形成できなかった地方はどうだったのか。エスパーニャとポルトガルは概して半周縁に位置していたが、有力諸都市は半周縁に位置し、内陸の農村部は半周縁の下層から周縁の地位に呻吟していた。ドイツでは、ライン下流地方はネーデルラント諸都市との強い結びつきのなかで準中核ないし半周縁上層に属していたが、バイエルン地方、ヴェストファーレン地方からエルベ河の西岸までは概して半周縁に属していた。そこから東方の一帯およびポーランド、ベーメン、ハンガリーはほとんど周縁に属していた。
とはいえ、半周縁や周縁に属す地帯でもダンツィヒやケーニヒスベルク、エルビングなど有力諸都市は周囲から一等頭抜けた地位を保持していた。それらは、中核地域の諸都市や商業資本の権力の中継装置としての役割を演じ、ネーデルラント商人の指揮下で貿易網の組織化と管理をつうじて周囲の諸地方から中核への経済的剰余の移転を媒介する機能を果たしていた。つまり、半周縁や周縁のなかでも有力諸都市は周囲から際立った高い峰をなしていたのだ。
世界経済は単純なピラミッド型または円錐形の構造ではなく、頂部と底辺を結ぶ斜面には複雑な起伏があって、有力諸都市はこの斜面に飛び出した突起峰の頂点をなしていたのだ。
ところで、ヴェネツィアやフィレンツェ、ミラーノなど北イタリアの諸都市、あるいはハンザ同盟の有力諸都市リューベックやブレーメン、ハンブルクなどは、かつては地中海やバルト海の貿易を支配する地位にあった。だが、有力諸王権がヨーロッパの権力闘争や貿易競争に入り込んできてからは、相対的な地位を後退させていた。そして、それらの周囲の地帯は概して半周縁に位置するようになっていた。ところが、これらの都市は、それまで蓄積してきた富や影響力、市域内の高い技術の多様な製造業のおかげでかなり高い地位を保ち続けることができたようだ。そして、二流どころの諸都市の例にもれず、アムステルダムやロンドンなど、より高い地位にある諸都市に奉仕しその力を周囲に中継する役割を割り当てられることになった。
このような地位と役割の推移は、ブルッヘやアントウェルペンなど、かつての頂点から滑り落ちた諸都市にもあてはまる。これは、こののちの歴史にも見られる傾向である。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成