第8章 中間総括と展望
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ことほどさように、ヨーロッパ大陸での国家形成はむずかしかった。大陸では地続きで君侯・領主が隣接し合い、家門的権威を競ってひしめき合っていたから、ある程度の集権化や統合に成功した君侯・領主は、必ず近隣のライヴァルの攻撃や支配圏域の内部で自立化を画策する勢力の反抗によって妨げられた。しばしば、両者は結託して王権の足を引っ張った。
これに比べて、海洋で大陸と隔てられた島嶼の辺境、ブリテンの王権はじつに幸運だった。ひとたび、イングランドの征服が終わってしまうと、ノルマン王権は、大陸に比べてきわめて小さな軍事力で王政統治を防衛できた。小さな軍事力とは、この時代、貴族勢力が王権への軍役奉仕に備えて常時保有する武力が小さいということを意味した。
しかも、イングランドを軍事征服したのが、集権的な軍制を好むノルマンの有力君侯だったということも幸いした。ここでは、はじめから地方領主の権力は制限され、地方関税圏への分裂が早くから克服され、造幣権も王権に集中・独占され、有力諸都市は王権に直属または臣従していた。要するに、「王の平和」の前に、貴族層の権力は抑制され、貴族層が農村や都市から収奪する経済的剰余が過大にならなかった。
15世紀まで、経済的にはイングランドは、大陸に従属した貧しい辺境植民地・属領のようなものだったが、王権と経済は大陸に比べて急速に成長した。フランデルンの対岸にあるロンドンや南東部では、急速に商工業が発達した。ノルマン王権のもともとの本領だった西フランクでの支配が、15世紀に百年戦争で失われてしまったことも、後になれば幸運だった。地理的に分離した諸地方を「単一の王権が支配できる」とする、統治をめぐる封建的法観念がいつまでも王権を拘束する条件がなくなってしまったからだ。
こうして、ブリテン諸島の内部では王権の集権化と辺境征服によって、比較的にかなり小さなコストとリスクで国家形成を進めることができた。また王権としては、フランデルンのような商工業の先進地帯への支配権を失ったから、王室財政の強化のためには、自らの領土に商工業を育成するしかなかった。先進的な諸都市が位置するライン河口とフランデルンの対岸にあるロンドンには、早くからハンザ商人やフランデルン商人、さらには北イタリア商人たちが来訪、居住してイングランドを北西ヨーロッパの貿易圏に取り込み、都市の通商基盤を整備しながら、通商組織や製造業の土台を形成していた。
たしかにイングランドは、ヨーロッパの社会的分業においては、大陸に原料・食糧としての羊毛や穀物を供給する従属的な地位に置かれてきた。だが、フランデルンでの戦乱のたびに、毛織物商人や職人たちが資本と技術を携えて亡命してきたし、王権も移住する企業家を有利な条件――税制や商業特権――で優遇した。また、土着(帰化者も含む)の商人団体が早くから王権に接近し、少しずつ特権を買収・拡大しながら政治的に結集していった。
大陸に輸出する商品としての穀物や羊毛を生産する農業や牧羊業は、当初から遠距離貿易組織に取り込まれ、貴族階級に所領経営の早くからの貨幣経済への順応を強制した。これだけなら、ポーランドのように従属的周縁への道をたどることになったかもしれないが、海洋を隔てたイングランドには強力な王権が存在し、いち早く集権化を達成していた。ロンドンやブリストル、プリマスなどの都市と商人団体も成長し、自立を求めていた。
こじんまりしたイングランドでは、多数の内陸関税圏への分断も早期に克服され、貨幣鋳造権は早くから王権が独占していたうえに、南部の有力諸都市の商人層が王権に接近して特権に守られながら、自前の遠距離貿易を組織し始めていた。そして、地方貴族層は軍事的に自立化するよりも、大評議会の貴族身分集会に結集して王権に圧力をかけ、地主経営としての所領経営(貨幣収入の稼得)に有利な域内政策や貿易政策を遂行させる道を選んだ。
富裕な商人層も、蓄積した富をもとに貴族化して土地を手に入れ、地主領主として土地経営を行なった。だが、ロンドン商人の権力は強固でイングランド全域の主要都市と商業におよび、土地経営に足場をもち貴族化しても富裕商人層は、フランスのように「地方貴族化」することはなかった。むしろ、経済的・財政的没落を免れるために、貴族階級が貨幣所得の増大を求めて商人化=ブルジョワ化した。
16世紀末には、ロンドンを頂点とした域内商業資本の支配のもとで、毛織物や造船、金属工業などの製造業が発達し、ネーデルラントへの商業的従属がようやく断ち切られようとしていた。あとには技術的劣位や金融的幼弱性を克服し、貿易を組織化する能力を育成して世界市場での劣位、海洋支配での不利を克服するという課題が残されていた。
さて、16世紀に王権は、宮廷財政の危機を乗り切るために、些細な理由を見つけてローマ教会を攻撃して修道院所領や教会所領の土地や財産を収奪し、結果的に宗教改革を推し進めた。これも、ブルジョワ化した経営(貴族・地主・商人)に広大な土地を引き渡す効果をもった。しかも、教会財産の王室への没収は、教会諸税などの収入を教皇庁に送金するイタリア商人の金融経路を分断し、彼らのイングランドでの基盤を掘り崩したため、イングランド商人の相対的地位を高めた。
こうして、本来、財政的な理由から始まったイングランド宗教改革は、教義の内容から見ればきわめていい加減な教会改革だったが、王権の周囲に富裕商人、貴族、ジェントリという域内の経済的・政治的な支配諸階級をいっそう結集させた。そのうえ、新たな教会組織は、王権に服属する国家装置として動くようになった。イングランド教会での祝祭行事では、民衆の前で司教たちは何にも増して神によるイングランド王の加護と祝福を求め、王の栄光を賛美した。これは、名目だけにしろ、狭隘な地方的慣習に埋もれて日常生活を送る民衆に「王の権威」という national identity を伝達する機能をもっていた。
他方で、教会領や修道院領が「解放」されることで、多数の農民たちは身分的従属からは解放されたが、同時に土地の保有権と耕作権を失い、プロレタリアートとしてわずかな賃労働の機会を探し求めて、農村や都市を流浪するしかなかった。羊毛産業や造船業は急成長を始めたが、とてもまだ相対的過剰人口を吸収できなかったから、多数の貧窮層は経済生活から追われ、都市や農村の秩序から放擲されることになった。これは、統治秩序の動揺をもたらし、とりわけ治安判事層の悩みの種となった。これへの対策が、エリザベス治下の「救貧法」だった。
ところで、17世紀には、ヨーロッパ世界経済の出現とともに、各地の商業資本ブロックのあいだの競争は熾烈化したため、また有力諸王権の対抗のなかでの通商貿易の安全のためにも、さらに強力な国家(支援政策と軍事力)が必要になった。しかし、王領地からの収入や関税、臨時に議会が承認する特別税の収入からなる貧弱な財政的基盤に立つ王権では、イングランド商業資本の世界市場運動を十分にバックアップできなくなっていた。とりわけ、ネーデルラント商業資本に対する劣位をはねのけるためには、中央政府の財政はあまりに弱体だった。
しかも、よりにもよってこの時期に、時代遅れの王権思想をもったステュアート家の王たちが専制を好み、富裕商人層とジェントリが支配する庶民院の統制に反抗して政策を運営し、国家装置全体を統制しようとして、混乱を招くようになっていた。
だが、政府財政への統制権を握った議会の支援を失った王権は、収入の基盤を失って、いまや「張子の虎」にすぎなかった。財政収入の決定権では、庶民院がますます統制力を強めていた。ついに議会と王権との対立が軍事闘争になった。
この局面で、ピュアリタニズム(思想と行動様式、戦闘意欲)によって強固に結集した騎馬軍団が軍隊に新たな規律と組織形態をもたらし、財政的基盤の貧弱な王権の軍事力を破壊した。新たに出現した共和政のもとで、さまざまな統治装置の形成が試みられ、国民的規模での課税・税収管理装置がつくられ始めた。しかし、富裕商人層とジェントリを中核とした政治的ブロックが政府機構を有効に統制する体制をつくりあげることはできなかった。
ゆえに、クロムウェルの死後、王政が復活した。ところが、ステュアート家の王たちは、新たな政治状況を理解できず、議会を中心に結集した支配的諸階級――地主貴族と貿易商人の同盟――の利害と衝突した。議会派は王の権利を制限する新たな王政レジームを構築することになった。商人層とジェントリを中心とする支配諸階級は、庶民院をつうじて王権と国家機構全体ならびに地方行政に対する統制を強化し、王権を組み換え、新たな統治体制に合う王権の行動様式と思想を打ち立てていった。
ピュアリタン革命から名誉革命にいたる過程は、支配的諸階級の内部での分裂と権力闘争をつうじての王政レジーム再編の試行錯誤であって、けっして支配階級の交替ではなかった。
このイングランドの革命期には、ロンドン商業資本の指導のもとで、政府財政と金融システムの大がかりな変革が展開されていた。それは、商業資本の世界市場競争のためにより効果的な国家組織と軍事政策、通商政策、産業政策を実施するという点で、ホラントに追いつくことをめざすもので、ライヴァルのフランス王権に大きく水をあけるものだった。
それ以後、世界市場の全域で、世界貿易および世界金融での優位をめぐる2つの世界都市、アムステルダムとロンドンのあいだの闘争が展開されることになった。しばらくはアムステルダムが圧倒的に優位だった。だがロンドンは、資源の動員や産業保護、軍事力という点で飛びぬけた能力を発揮するブルジョワ国民国家の援護を受けていた。この国家の財政制度は、金融市場とリンクさせて資金を調達する仕組みを備えていた。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成