第8章 中間総括と展望
この章の目次
さて、ヨーロッパ諸国家体系の歴史的構造についての私たちの考察は、17世紀末から18世紀初頭にかけてのイングランドでのブルジョワ国民国家の出現と、その将来の対抗馬としてのフランス王国の確立というところまで到達点した。フェルナン・ブローデル風に言えば、「都市支配型の経済
éconimie ville dominante 」が表舞台から退き、「国家支配型の経済 éconimie état
dominante 」が成長していく局面、あるいは「都市支配型の経済」が「国家支配型の経済」に吸収・統合されていく局面に立ったわけだ。「国民国家の時代」が到来する。このあとの一連の考察は、18世紀から19世紀半ばにかけての時期における「国家支配型の経済」、多数の国民国家の形成・確立の歴史についての研究ということになる。
そのさいの展望と課題をここで示しておこう。
このあと18世紀をつうじて、イングランドは「近代国民国家」としての統治体制を築き上げながら、攻撃的な世界政策でネーデルラントの最優位をくつがえそうとしていく。そして、18世紀の半ばにはネーデルラントと並び立ち、さらに世界経済のヘゲモニーを奪い取ることになる。やがて、「自由貿易帝国主義」政策をつうじて世界覇権を謳歌し、やがて19世紀半ばには長期にわたる相対的地位の後退への道を歩み出す。圧倒的なイングランドの最優位はなぜ、どのようにして崩壊し始めていったのか。
フランスではブルボン王権が国民的統合を進めながら、ネーデルラントとイングランドに対して経済的であると同時に軍事的な攻撃を執拗にくりかえす。だが、ちょうどイングランドが世界の支配を手にする頃から、フランス王権の統治体制は深刻な危機に陥っていく。やがて、すさまじく破壊的な市民革命が発生し、フランスは国民的統合のレヴェルを画期的に上げていく。
その不機嫌で攻撃的な政府はやがて共和政からナポレオンの専制レジームに転換し、政治的・軍事的支配圏域を膨張させ、ヨーロッパ大陸を征服してしまう。だが、大陸を軍事的・政治的に軍事的に支配しても、イングランドに対する経済的劣位は挽回できなかった。とはいえ、フランスの革命思想と国家観はヨーロッパ諸国家体系の編成原理や運動様式に独特のインパクトをおよぼし、その革命戦争はヨーロッパの軍事組織と戦術・戦略思想に大きな転換をもたらすことなる。
「市民革命の典型」といわれるフランス革命から大陸体制崩壊までの過程を、世界市場的文脈で眺めたとき、どのような容貌が浮かび上がるのだろうか。
フランスの征服を受けたドイツでは、やがて、プロイセンとオーストリアが国民形成の主導権をめぐって闘争することになる。この闘争は、またドイツ国家の地理的範囲をどうするか、という問題への解答(力関係の決着)を引き出していく過程でもあり、諸国家体系のなかでの闘争ではいずれの統治体制が適合的かを実験する過程でもあった。
ドイツではプロイセンとオーストリアのそれぞれによる域内統合が試みられる。そしてこの両者の主導権争いを軸としながら、諸領邦国家の関税同盟の形成など国民的統合への試行錯誤が続く。こうした政治的・軍事的な統合の過程の背後で、ドイツ諸地方の資本ブロックはどのように結集していったのか、そして、この資本の国民的組織化にとって国家の統合はどのような意味をもつのか。
このドイツのはるか東の彼方では、ロシアが独特の統治レジームを構築しながら世界経済に参入しようとしていた。とらえどころのないロシアは、国民国家形成への道を歩むのだろうか。それとも、やはり奇妙な「帝国政策」の陥穽にとらわれて、国家的統合と国民形成に失敗するのだろうか。今ここで私たちは、国民国家形成の停滞と挫折が「ロシア革命」をもたらす原因ではなかったかという索莫とした疑問を抱いている。
ドイツとロシアという、形成されつつある2つの政治体のあいだに挟まれたスウェーデンでは、独特の「近代王政」への転換と国民形成が行なわれていくことになった。
そして、ヨーロッパのどの――形成途上にある――国民国家にとっても、域外の周縁地域・半周縁地域の支配、つまり植民地・属領の獲得と支配が資本蓄積と域内統治の不可欠の条件となっていた。ゆえに、ヨーロッパ諸国民国家による世界市場の分割競争が激しく展開されることになっていく。この段階ではいまだに世界経済の商業的組織化――商業資本の権力による世界分業と世界貿易の組織化競争――が、資本の世界化の主要な形態だった。その転換の兆しは現れるのだろうか。
ところで、ヨーロッパに比べてきわめて特異な国家形成・国民形成の試みの1つが、大西洋を越えたアメリカ大陸北部で展開されようとしていた。18世紀半ば、イングランドが植民地争奪戦で優位を得て北アメリカからフランス勢力を一掃したかに見えたその直後に、植民地同盟の反乱に遭遇することになる。北米での反乱独立闘争とその後の国家形成過程は、ヨーロッパから海洋によってはるかに隔てられた地域で、まさに大陸的スケールで展開する。人類は、まったく新たな地政学的環境での国家形成・国民形成を体験することになる。
私たちは、アメリカでのこれまた特異な国家形成を追いかけることになる。北アメリカでは大陸東部の植民地のいくつかの地方が、イングランドに従属しながら、地域固有の通商的・経済的なまとまりを形成し、やがて固有の政治的凝集をつくりあげていく。独立闘争のきっかけは、ブリテンの自己中心的な重商主義的政策が植民地を過剰に収奪していることに対する異議申し立てだった。ところで植民地同盟は独立戦争には勝利したが、植民地諸州はまだとても国家を形成しているという状況ではなかった。
北部諸州は中西部フロンティアを開拓・統合しながら、イングランド商業資本に従属した南部諸州を統合し、国家としての集権化を進めなければならなかった。国家の基本構造の形成は、独立闘争の勝利からまだ1世紀以上もかかった。この国家的統合の過程のなかで、20世紀前半までに世界経済のヘゲモニーを掌握する要因が成長していった。だが、それとて、世界市場的文脈に制約されていたはずだ。
というわけで、この次の一連の考察では、17世紀末から19世紀後半までの約2世紀について、以上にごく大まかに述べた問題群を含めて、世界市場的文脈においてヨーロッパでの諸国民国家の形成・変容と植民地北アメリカでの特異な国家形成過程を扱うことになる。要するに、世界経済が全地球的規模に拡大していくという文脈を背景にしながら、いくつかの主要な国民国家が形成され強化されていく――このことが世界経済の膨張のもっとも主要な要因だったのだが――過程を考察することになる。
さて、ブリテンによる北アメリカ植民地の支配と経済的・財政的収奪に大きな役割を果たしていたのが、イングランド東インド会社だった。東インド会社はアジアでの植民地争奪と支配を担い、そしてまた軍事力の行使をともなった世界貿易競争を展開する企業体(商人団体)であると同時に特殊な国家装置でもあった。しかも、国家装置でありながら、本国中央政府の統制から自立して活動する組織だった。その意味では、17-19世紀における商業資本の世界市場運動と国民国家の中央政府との関係を如実に示す存在だった。
そこで、私たちは東インド会社の歴史を分析し、19世紀半ばまでの資本の世界市場運動と諸国家体系の関係のある側面を描き出してみることにする。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成