第8章 中間総括と展望
この章の目次
以上が、私たちがこれまで考察してきた《ヨーロッパ世界経済の出現と諸国家体系の形成の歴史》のごく大まかな要約と総括だ。これをもとに、国民国家の成立をめぐる諸問題を考えてみよう。
さて私たちは、前に国家というものが備えている属性(国家性ないし国家らしさ) Staatlichkeit についてまとめておいた。それによると国家というものには、
①一定の地理的範囲を領土として排他的に囲い込む軍事的・政治的境界――国境システム――の存在
②領土内で中央政府の統制のもとに地方まで行財政装置(官僚制)が組織されている状態
③中央政府によって強力装置(軍・警察組織など)が独占されている状態とそれを法的に正当化する制度の存在
④領土内でこのような行財政装置や強力装置をあまねく機能させる力能や制度の存在
⑤このような装置や制度をつうじて領土内で住民(諸階級)の政治的凝集が組織されていること
という諸要因が備わっているということだった。
マルクス派の「古典的な国家の規定」として「階級支配の道具または手段」という機能的属性があるが、これは、属性⑤にある「住民(諸階級)の政治的凝集」の組織化ということに含まれるものとしておく。
ただし、この見方は、総体としての国家組織と国家装置の特殊な部門としての警察や軍などの強制装置を混同している。そして、ブルジョワ国家において資本家階級は直接的に国家装置を掌握・指揮しているわけではないので、資本家的利害がどのように国家装置の運動に伝達または反映されるのか、どのような仕組みで国家装置は資本家的利害に照応した支配装置になるのかを論証しなければ、仮説としての意味をなさない。しかも資本家階級はさまざまな分派に分かれているので、どの分派の利害が支配的なのかというような資本家階級内部の構造を分析する必要がある。
ところで、ここには国民国家 nation state / Nationalstaat の属性がすでに含めてある。というのは、近現代まで生き延びてきた国家はすべからく国民国家であって、それを分析して抽出した属性が上記の諸要因だからだ。そこで、国民国家としての属性を示すために、いくつかの要因を付加しておこう。
⑥上記の諸要因によって総括され組織された社会は、世界経済のなかで独立の政治的・軍事的単位をなしていること
このような統合枠組みによって組織化された諸階級=住民の結集状態が、やがて国民 nation として制度化され、標識されることになる。
ところが、考察の対象となった18世紀はじめまでの時期には、国民とは、統治に参加できる貴族家系や有力商人家門に属す人びとを意味していて、彼らは国家装置の内部と周囲に組織され、権力や特権を付与され資産を保有しながら、王権国家による統合・結集の中核として機能していたエリート層に限られていた。
そして、このような政治的・軍事的単位は、世界経済の分割単位となっていた。ここで「独立の」という形容の意味は、独自の利害を意識している組織体をなしていて、その利害にもとづいて政治的・軍事的な行動――たとえば戦争の発動や同盟の締結・解消など――ができるということである。
⑦独立の政治的・軍事的単位としての国家は、それ自体の生存をかけて相互に競争・闘争し合うが、この競争・闘争のなかで、中央政府は域内の商業資本の世界市場運動を支援すること
ただし、中央政府と軍の担い手たちは、経済的利害そのものを商業資本と同じように意識して行動したわけではない。概して彼らは競争相手としての諸国家との対抗を意識して軍事的・政治的利害に即した行動を取りがちだったが、長期的に見ると、彼らは、国家財政基盤の持続的な強化のためには、世界市場での経済的競争で優位を獲得せざるをえないことを経験的に学習していった。
以上の属性は、「商業資本の世界市場運動」を「資本の世界市場運動」に置き換えれば、1930年代まではおおむね妥当するだろう。だが、第2次世界戦争後には、この戦争の結果として、西ヨーロッパと日本などの諸国家は合州国との同盟をつうじて軍事構造的に従属するようになり、単独で軍事的行動を発動できなくなったので、現代は国民国家の存在状況について特異な状況にあるというべきだろう。
以上の国民国家の諸属性について、どれが本質的でどれが派生的かというような序列をつけないでおく。というのは、歴史的局面や状況に応じて、国民国家の再重要な要因として前面に現れる属性がどれになるかは変化するからであって、それゆえ、歴史的・状況的に動態的な構造を固定した認識モデルに押し込めてしまうのを避けるためである。
そして、これらの諸要因はすべて相互依存的で、どれもがほかの諸要因の存在と作用を前提とするからである。私たちが求めるのは、国民国家の総体性における姿態であって、あれこれの要因の序列関係を先験的に固定化することではない。
というわけで、「すでに資本主義的生産関係が全社会的規模で形成され、それに対応して階級関係や政治構造が成立する――国家の諸要因や諸属性もまたそれに照応して配置される――」というような、動きのない積み木を組み立てるような非歴史的で静態的な認識方法を、私たちは拒絶した。というのも、この方法論的仮定は抜け出しようのない自家撞着にはまり込むからだ。
「全社会」というのは、マルクスが抽象的に仮定したような世界経済=世界市場なのか、それとも国民国家の境界の内部の社会なのか。もし世界経済だとすると、私たちが検証してきたような限界にぶつかる。また、もし後者だとするなら、それは国民国家による国境制度を前提するものであって、国家によって政治的に組織された社会ということになり、生産関係を土台=出発点とする方法が破綻していることになる。
これまでに見たように、国民国家の現実の形成過程および運動過程では、経済的再生産において最優位を占める階級が必ずしも自動的に政治的・軍事的権力構造において最有力となるわけではない場合もしばしばあった。また、現実の政治的・軍事的権力において国家装置のどの部分、つまり統治階級のどの部分が最有力な地位を占めるかということも、局面によってさまざまだった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成