第8章 中間総括と展望
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領域国家や王権と商業資本との同盟がもたらす強さは、何よりも財政運営や財政能力に現れていた。
イングランドとスウェーデンを除けば、17世紀末から18世紀はじめまでに、中央政府の財政収入の収取を国民的枠組みで組織化することができた国家はヨーロッパに存在しなかった。イングランド銀行は王権から特許を付与された特殊な商人団体(企業)であって、国家装置の周囲に結集した最有力の商業資本の権力装置の1つとして、王権国家に強力な財政基盤を提供していたということだ。スウェーデンの事情はこれに近かった。
*⇒ネーデルラント連邦の財政運営と金融システム
*⇒市民革命後のイングランドの財政運営と金融システム
ところが、市民革命前のイングランド王国やフランス王国では、王権の行財政装置はきわめて貧弱で、王室の家政機関がある王領地を除けば、まともな徴税組織をほとんど備えていなかった。徴税に関していえば、フランス王権は諸都市の政庁や在地領主層が実質的に支配する地方組織――地方評議会の徴税組織――に全面的に依存していた。イングランドでは、土地などの資産税に関しては、身分評議会に身分代表を送る選挙区や行政管区を母体にして、地方貴族・名望地主層が資産税の課税や徴収制度を運用していたが、間接税に関しては都市参事会や商人団体に頼り切っていた。
比較的に集権化が進んでいた両王国ですらそんな状態だったから、ほかは推して知るべしだった。
一般に当時のヨーロッパでは、王ないし中央政府による課税と徴税――とりわけ間接税・流通税――は多くの場合に請負制になっていて、行政管区ごとに入札競売によって富裕商人に一括して売り渡された。つまり、上納分の税額を商人たちが応札して、より高い金額を提示した商人が王室やその地方官庁から落札したのだ。自治が認められた諸都市でもほぼ同じだった。複雑な商取引関係や資産状況に応じた課税と徴集の実務は、商業会計の専門家でなければほぼ不可能だったから、専門商人による請負制は不可避的な結果ではあった。
問題は、課税査定・徴税手続きや請負業者に対する中央政府あるいは議会、地方政庁の統制がどの程度有効かということだった。
なるほど王権政府の財政資金の調達が最有力の金融商人グループと結びついていたという事態そのものは、イングランドにもフランスにも共通のものだった。しかし、ブリテンではイングランド銀行は、議会すなわち国民的規模で結集した商業資本と地主層の厳格な統制を受けて、政府公債の管理と政府財政資金の供給を担当していた。そして、銀行を組織・運営する最有力の商人(貿易業者・金融家)は、政府財政の安定そのものが、国内での権力と世界市場での競争力の保持・拡大のために不可欠の条件であることを明確に認識していた。
それに対して、フランス王室財政と結びついていた financier (金融家)たちは最有力の徴税請負商人で、王室財政の安定よりも自己の利害を優先して行動しがちだった。しかも、フランス王国には、この商人グループを統制する議会装置がなかった。つまり、域内の商業資本家と有力地主層が国民的規模で結集し、相互の利害の調整や妥協をはかりながら、自分たちを統治階級として組織化する装置がなく、王権を牽制しあるいは域内の諸勢力に対峙していく仕組みがなかった。
そのため、中核的な国家装置による統制を受けない金融家と王権との利害対立が深刻な財政危機と統治秩序の危機を生み出すリスクはつねに存在していた。
身分制=特権の秩序がいきわたった社会では、いったん買い取られた徴税権は徴税役人としての身分を得た金融商人のいわば私的権利で、つまり特権の保有者が自己の利益のために行使できる権能だったから、査定方法や課税率、課税方式、徴収方法などについては、王権は干渉・統制することがなかったし、できなかったのであって、ごく大まかな規定が示されるだけだった。
だから、徴税は要するに営利事業であって、それを請け負った富裕商人たちは、徴税から大きな利潤を引き出していた。徴税に逆らう輩の抵抗に対しては、王の権威のエイジェントしての地位を盾にして封じこめることができた。そして、徴税請負商人が十分な利益を差し引いて地方財政機関に納めた税金は、売官制度によって地方行政の官職を得た元ブルジョワないし現役ブルジョワたちがこれまた地方行政費と自分の利益を抜いて、中央に送金した。
というのも、公的な制度としての上級官僚の報酬に関する制度や仕組みがなかった――下級官吏層には俸給が支払われていた――ので、官僚層は官職身分に付随する権限を利用して自分の俸給や役所の運営費用をまかなうしかなかったからだ。
しかも中央政府・宮廷では、王権に寄生する有力貴族や高官たちが、やはり、自分の利益や手数料を上乗せして、政策執行の資金を引き出していた。つまり、地方都市の中小商人層や職人、農民が苦労の挙句にやっと支払った税は、その何割ないし何分の1かしか、中央政府の統治の「実費」に回らなかったのだ。あまつさえ、王権から官職や爵位あるいは特権を買い取った富裕商人(政府の高官職を保有する者を含む)たちは、「税のサヤ抜き」だけにとどまらず、王権の財政危機につけいって政府に高利で資金を貸付けてしたたかに利潤を獲得していた。
17世紀半ばになると、フランスの王権は政府組織を改編して、利ザヤを取りすぎた徴税役人を処罰した。だが、徴税請負制を取り続ける限り、とにかく税の上納にさいして「利ザヤを抜くこと」自体は十分に当時の倫理や行財政の規範にかなうことだった。これは、フランスやエスパーニャ、それに革命前のイングランド王政に共通の現象だった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成