第8章 中間総括と展望
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さて、私たちは、いよいよ17世紀の終盤、イングランドでのブルジョワ国民国家の出現とともに、ブローデルのいう「国民市場
marché-nationale 」が形成されようとしている局面にまでやって来た。
では、国民市場 Nationalmarkt または国民経済 Nationalwirtschaft とは何だろうか。私たちのこれまでの考察から言えることは、国民国家が打ち立てる軍事的・政治的・行政的・経済的装置などもろもろの制度や障壁によって組織された――外部と相対的に区分された――経済圏であるということだ。19世紀前半、ドイツでなかなか国民的統合や国民国家の形成が進まない状況に焦燥感を抱いていた国民経済学派
Nationalwirtschaftler は、国民経済とは国家の共通の関税障壁 Zollschranken によって組織化され防護された経済圏であると言い切ったことがある。つまり、国民経済は国家をつうじて政治的に組織された社会的・経済的空間なのだと。
ところが、すでに見たように、経済的社会関係は近代国家ができるずっと以前からヨーロッパ的=世界的規模で、つまり、そもそも「国境」という制度はなかったがゆえに、のちに「国境」によって仕切られる地理的範囲をはるかに超えて、編成されていた。世界市場 Weltmarkt の権力構造は、領域国家や王権国家の境界や障壁をものともせずに貫徹していた。
時系的順序としては、ヨーロッパ的規模での経済的な物質代謝連鎖は、国境というものが出現するはるか以前から存在し続けていて、しかるのちに制度としての国家や国境が成立したのだ。国家や国境の形成にともなって、世界経済は政治的に分割され境界づけられ組織化されるようになったのだ。
たとえば17世紀末には、フランス王権がいくら集権化を進めても地方の分立や遠心傾向は克服できず、世界都市アムステルダムの経済的・通商的支配はノルマンディ、ギュイエンヌ、ブルゴーニュに浸透していた。これらの地方には、パリの王権よりもアムステルダムの統制に服する方を好む――あるいはネーデルラント商人の強い影響を逃れられない――諸地方や諸都市があった。
してみれば、国民市場というものは、強力な国民国家が、領土内の諸地方を域外の権力による支配から相対的に切り離して、いや切り離すことができないとしても、その影響力を域内の中央政府や経済的首都の影響力よりも小さくすることによって、はじめて成立するものなのだ。
それゆえ、国民経済の形成=組織化に成功した圏域には必ず1つの政治的・経済的な中枢都市 metropolis が存在し、それが域内のほかの諸都市や諸地方を支配する関係が存在していた。もとより、この中枢都市は世界貿易の組織化の中心でもあった。中央政府や経済的首都(中心都市)の力とは、ここでは、世界市場競争のなかで劣位や従属を克服して相対的な自立化と優位をめざす商業資本ブロックとそれを支援する国家の合成権力ということになる。
つまりは、国家を形成し、世界貿易(の全体または一部を)自己中心的に組織化しようと奮闘する政治的な力能だ。この力能が形成されるためには、域内の支配的諸階級の独特の政治的凝集と行動様式が必要だった。
ここで次に、世界市場、国民市場、地方市場(局地市場) Lokalmarkt の関係が問題になる。
世界経済に関する理論や史料研究がはなはだ未熟だった、かつての日本で(1960年代まで)は、大塚久雄が経済史学の方法として提示したように、「局地市場⇒国民市場⇒世界市場」という「歴史的にして論理的な」発展過程が想定されていた。つまり、いくつもの地方市場が成長して相互に融合して国民市場を形成し、国民市場が内部で成長した後に「国境から溢れ出て spill over the national border 」相互に融合して、世界市場をつくりあげる、という論理である。ヨーロッパでも、世界経済や世界貿易は the spill-over problem として扱われてきた。
西ヨーロッパの政治経済学などの社会科学や歴史学は、国家形成や国民形成という政治的目的をもって確立されてきた。そのため、国内社会 national society の政治や経済、法がどうあるか、どうあったか、どうあるべきかという実践的目的に沿った認識方法に束縛されるのは避けられなかった。
外国の社会が研究対象になっても、それは国民社会がどうあるか、どうあるべきかという課題意識と結びついた比較研究で、外交政策をどのように方向づけるべきかという政治的課題と結びついていた。国内社会と外国社会との関係性、まして関係性の構造それ自体が研究対象にされることは、長らくなかった。
だから、国際関係や世界経済に関する研究は、国内社会の事情の認識ののちに考究する問題領域だということで、「しかるのち問題 thereafter problem 」として扱われてきた。だが、なぜ、いかにしてナショナルな枠組みをもつ社会――または国家――が存在するのか、という問題は問われることもなく、無批判に自明の事柄として放置されてきた。
しかし、このような見解は、私たちの考察の結果には合致しない。まずはじめに世界経済があって、しかるのちに国民国家と国民経済が出現したのだ。世界市場、地方市場、国民市場の歴史をまとめてみよう。
ところで、「国民 nation 」という語について、現代人は、国民とは市民権が下層階級にまで拡大された段階の国家市民ないし公民の集合であると考える場合が多い。だが、中世中期以来、統治に共同参加する有力諸身分ないし諸階級の集合が natio / gens として観念・表象されてきたこともまた歴史的な事実だ。
これら語はともにネイションの語源となった。これらの語は nature と共通の語源から発生し、「生まれながらのもの」「生来のもの」という意味をもち、 natio, gens は「生まれながらにして特権をもつ家門出自の人びと」あるいは「尊敬されるべき善良な人びと」「民族」などを意味する語になった。
ネイションもまた、はじめのうちは「有意の資産を所有する特権的な家門や身分の人びと」「統治に参加する身分」を意味していた。
こう考えると、「国民」や「国民国家」の形成・成立の時期をどのように見るかは、きわめて難しい問題だ。とはいえ、私たちは、こういうでき合いの用語を使って歴史と社会を考察し認識するしかない。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成