第8章 中間総括と展望
この章の目次
では、ヨーロッパ世界市場で優越する商業資本の権力は、どのような仕組みで都市国家や領域国家を超え出てヨーロッパ各地に伝導=伝達されていったのか。
商業資本が優越する権力構造が世界市場的規模での社会的分業体系として編成されていたということはすでに述べたが、権力や優越がどのような回路をつうじて伝達されていたかをもう少し具体的に見てみよう。
14-15世紀の地中海世界市場では北イタリア諸都市の、17世紀のヨーロッパではネーデルラント諸都市の卓越した権力は、ヨーロッパのいたるところに張りめぐらされた諸都市の関係や貿易ネットワークの経路、有力商人たちの経営活動や取引関係をつうじて域外に伝達されていた。この経済的取引きが、同時に政治的にして軍事的なものであることは、これまでに見たとおりだ。
世界市場で最有力な商人集団は、貿易業や海運業、あるいは貿易金融を営み、各地の諸都市の商人たちに在地地方での買付け集荷や仲買い、卸売り業務を担わせていた。諸都市の内部では、参事会メンバーとなりうる家門の商人たちが市域内の事業所となる邸宅や店舗、市場施設などを所有していた。その次の地位に立つのが、商人でありながら工房を所有する親方職人で、彼らは職人労働者や徒弟を雇っていた。このような在地富裕商人層から、中小商人たちは店舗や市場施設を賃借りして小売業を営んでいた。近郊で野菜や果物などの園芸作物を栽培する自営農民も、小売り業者と似たような地位にあった。彼らの下には、担い売りの零細商人、商人プロレタリアートがいた。
また農村副業として毛織物(素織布)を生産する人びとや半農職人たちは、地場の商人たちの采配のもとにあった。
世界貿易をめぐる力関係が伝導するのは、さしあたり交易路やその周囲だけであって、その網の目(線状の経路)からはずれたところでは、商品経済がいくらか浸透してはいても、商業的権力の空白ができていて、小さな地方的市場が自立的に機能していた。世界市場の権力はいまだ一円的な面状の支配作用ではなかったのだ。
他方で王室の権力や権威は、王領地の家政装置や王が地方に派遣した行政官や軍政官の監督や査察活動をつうじて伝達された。王と地方領主との恩顧=臣従関係は長く持続しなかった。数代を経ると、あるいは代がわりのたびに王権は地方領主との恩顧=臣従関係をとり結び直したり、あらためて中央官僚の派遣などによる集権化政策を進めなければならなかった。
交易や経済の権力ネットワークと中央政府による統治のネットワークは、有力諸都市では重なることもあったが、多くの諸地方では別のものだった。多くの地方では、在地固有の統治装置や統治情報を伝達する経路は、中央政府のネットワークと効果的に結びついていないか、あるいはそもそも結びつき自体が欠けていた。というよりも、地方統治の担い手たちは、利害の一致しない中央からの統治権威・情報の受容や中継を拒絶している場合も多かった。
それゆえ、商業資本が王権と同盟するようになって、王権の権威伝達経路と商業資本の権力伝達経路が結びつくようになってからも、中央政府の統合作用が地方に到達しないことも多かった。
たとえば、地方統治を担っていたフランスやエスパーニャの地方貴族は、所領経営による利潤が上がれば、取引き相手はネーデルラントで商人でもイングランド商人でもよかった。域外商人たちの方が、域内商人よりも短期的には有利な取引き条件――たとえば羊毛やワインなどのより高い買い取り価格――を提示することもあっただろう。
ゆえに、王権の影響力と比べて地方の自立性が大きすぎることに起因する、このような経済的および政治的な空隙には、さまざまな勢力が外部から入り込むことができた。外観上、あれほど王権が強固に見えたフランス王国も隙間だらけで、しかも多数の地方関税圏に分断されていたから、域内の商品流通過程(剰余価値の分配過程)にネーデルランドやイングランドの商人たちがちゃっかり入り込む余地は多分に残っていた。域外商人は、宮廷から遠く離れた諸都市の政庁や領主から通商特権を与えられることもあった。エスパーニャでは、この傾向がさらに強かった。
フランス王国の――南西部の大西洋岸や地中海沿岸などの――辺境では、王権国家の支配はまだ統治拠点を結ぶ線による支配にすぎなかった。諸都市を結んだ商業的支配のネットワークの力は、国家的統治の経路よりもはるかに大きな影響力をもっていた。中央宮廷のないドイツやポーランドの状況はさらに無防備だった。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成