第8章 中間総括と展望
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やがて、北イタリアでは諸都市が周辺領域を支配する都市国家をつくりあげ、バルト海では地理的に離れ離れの諸都市が通商や通貨をめぐる同盟を組織し始めた。これによって、貿易路の網の目の密度はぐっと濃くなるとともに商品や貨幣、情報の移動速度はぐっと速くなり、有力諸都市の周囲には面状の商品貨幣経済圏が同心円状に広がっていった。それでもやはり、交易路や都市の支配からはずれた諸地方市場の変化は緩慢で、互いに融合することなく分離したままで、自分たちのリズムで生活していた。
だが、北イタリアでは、地中海世界貿易のネットワークを組織する有力諸都市が、周辺の地方市場を力づくで統合した。農村領主層は貨幣経済に順応して都市の統治階級に融合するか、さもなくば没落の道が待っていた。
とかくするうちに、ヨーロッパ全域で有力領主層による領域国家の形成をめぐる競争が始まり、各地の有力君侯たちの宮廷の周りに軍事的・政治的権力が集積していった。それらの領域君侯群のなかから、将来の国民国家の基盤となるような強力ないくつかの王権国家が出現した。こうした国家では、王権装置の周りに土着の富裕商人たちが結集し、王権との提携=特権を手段として、域外商人と競争しながら、自己中心的に遠距離貿易ネットワークを組織していった。けれども、域内統合が進められずに、没落する王権・君侯も多かった。
ここから先の話は、すでに述べたおなじみの歴史になるので省略する。
とにかく、世界経済が確立されるにつれて、諸都市の商業資本グループのあいだの競争は、諸国民ないし諸国民国家のあいだの競争に置き換えられていった。そのさい、それぞれの国民ないし国家は、それぞれに優位を競い合う政治的・軍事的単位をなし、特定の中心都市によって統率された諸地方からなる、ひとまとまりのブロックであった。都市は国家に取り込まれたが、いまや国家組織という鎧をまとい、国家をつうじて自らの権力を組織し、世界経済における優位を獲得しようとしていた。
アムステルダムとその取り巻きの諸都市は、ネーデルラント北部諸州をそこそこの凝集度において政治的に統合した。だが、それらの都市はすでに世界経済で最優位を占めていたので、諸都市は自らの手足を束縛するほどの強力な連邦中央政府と国家装置をつくりあげようとはしなかった。都市団体や商人は、独立闘争前にはホラント伯やフランデルン伯の支配の浸透を拒否し、独立後にはホラント=ユトレヒト総督オラニエ家の領域君侯=王権への成長を妨害したように見える。
だが、ヨーロッパ諸国家体系のなかで熾烈化する軍事的対抗関係のなかで、域内の政治的凝集を強化し軍事力を強めるため、連邦国家に君主政の要素をより強く帯びさせる必要があったことは、その後の経過から判明するだろう。
一方、むしろネーデルラント商業資本に踏みつけにされていた諸地域、たとえばイングランドやフランス北部の方にこそ、より強大な国家を形成しようとする傾向がはたらいていた。言い方を変えれば、経済的に後進的で劣位にある地域なので、有力君侯による強大な領域国家形成への動きを阻止しうるほどの力を備えた有力都市が成長できなかったということであり、つまり、その地域の諸都市と商人は王権との提携関係を、王権の強大化を促すような形態で取り結ぶしかなかった、ということになる。したがって、都市の自由特権は王権による強い制限を受けたものになった。
ロンドンは、古くはリューベクやアントウェルペン、ヴェネツィア、ジェーノヴァから独立しようともがき、新しくは国家の保護障壁を盾にしながら、アムステルダムの影響を極力排除して、イングランド経済を政治的に統合しようとした。そのために、ロンドンの有力商人集団は、国内の多数の地方市場や都市を道路や運河、航路で結び、王室の権威の強化をつうじて域内で自分たちの特権と優越を確立しようとした。
ロンドンの有力商人層と融合した中央政府は、国民的な統合秩序を確立するために、庶民院が統制する治安判事層による地方ごとの市場政策、労働政策、社会政策を指導した。中央政府は治安判事の職務マニュアルをパンフレットとして刊行して、国民的規模での地方行政の方向づけを行なった。
また、村の教会で牧師や治安判事の演説をつうじて、住民各階層が自分たちをひとつの国民 nation として意識するようになることも、彼らが村や街の市場において国民的規模で統一された度量単位や通貨単位で取引きすることも、国民的統合のための重要な要素だった。イングランドにはいくつもの民族や語族 ethnic
groups ――イングランド人、スコットランド人、ウェイルズ人、アイアランド人――がいたが、それらはイングランド語を公用語とするブリテン王国に帰属する単一の国民として政治的に組織化されていくことになった。
要するに世界貿易の衝撃が、ヨーロッパのあちこちで地方市場を政治的に統合して国民市場に組織していく動きをつくりだしたのだ。
こうして、地方的慣習に埋没して生活していた地方市場にとってみれば、国民市場への統合は、王室や中央政府の権威への服従であり、ロンドンを首座とする有力諸都市の商業権力への従属だった。それは、世界市場で競争する国民的中核 national core ――中央政府とロンドン――にブリテン諸島のすべての地方市場が結びつくことだった。つまり、基層の経済構造が政治的に組織された上部構造によって統合され、支配されるということだった。
とはいえ、地方市場とその一般住民たちが――原始的な異邦人排外感情とは異なる次元の――国民意識を身につけ、それゆえまた自分たちとは別の国民との区分、それゆえ諸国民のあいだの関係 international relations / relations of nations を意識していくには、まだ長い時間が必要だった。というよりも、国民意識は排外感情と分かちがたく結びついて成長した。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成