第8章 中間総括と展望
この章の目次
これまで私たちは、ヨーロッパ各地での国家形成の歴史を世界市場的文脈のなかに位置づけて考察してきた。
これまでの考察で対象にした諸地域、すなわちイタリア、ドイツ、ネーデルラント、エスパーニャ、イングランド、フランス、スウェーデンのなかでは、17世紀末までに世界経済と諸国家体系において〈軍事的・政治的単位としてのまとまり〉をもって自立的に行動できるような「国家組織」の形成を達成したのは、ネーデルラント、イングランド、フランス、そしてスウェーデンだけだった。
ただし、ネーデルラントはやや特異な国家に見える。また、スウェーデンは独自の国民的規模での政治的・軍事的凝集をつくり出し、バルト海・ポーランド・北ドイツというヨーロッパの周縁部でかなり自立的な軍事的行動をとることができたが、ヘゲモニー争奪に参加できるほどには強力ではなかった。
エスパーニャでは、わずかにカスティーリャで絶対王政が成立しかけたが、王権は見せかけの「帝国政策」を優先し続けたために域外商業資本への経済的従属を深めるという状況のなかで、国家形成は挫折してしまった。そのさい「帝国政策」の優先という事態には、イベリアの諸地方の国民的統合につながる動きをついにつくり出すことができなかったということが含まれる。王権は国家形成に向けた動きをとらなかったのだ。つまり、帝国政策は「強さの表われ」ではなく、むしろ「弱さの表われ」と見ることができる。
では、国家形成に成功した4つの地域、ネーデルラント、イングランド、フランス、スウェーデンでは、国民国家は形成されたといえるのだろうか。そして、世界市場的文脈から見て《国民国家が存在する状態》とはどういうものなのだろうか。これらの問題についての解答ないし見通しを得るために、これまでの私たちの考察――17世紀後半までのヨーロッパ世界経済と諸国家体系の形成への動き――を、いくつかのトピック(分析視角)に即して総括してみよう。
まず最初のトピックとして、国民国家は世界市場的文脈に位置づけてみるとき、どのような存在として意味づけるべきなのか。ここでは、資本の世界市場運動または世界市場競争にとって国家による統合、政治的凝集の組織化はどのような意味、効果をもつのかということを問題とすることになる。そのさい私たちは、「資本の支配」という観点から、《国家の国民的組織状態 die nationale Organisiertheit des Staats 》または《社会関係の国民国家的編成様式 die nationalstaatliche Organisiertheit 》を見極めようとしているのだ。
ドイツの国家導出論争とその後の世界システム論争では、国民国家という状態とは《世界経済の諸国民国家への分割状態 Unterteilung
der Weltwirtschaft in Nationalstaaten 》であるとして規定され、意味づけられた〔cf. Siegel / Braunmühl〕。そこに前提とされているのは、自立的な社会システムは総体としての世界経済であって、あれこれの国民国家はこの世界システムの非自立的な諸環(部分システム)にすぎない、という視座=方法論だ。世界市場的文脈での資本蓄積にとって決定的なのは剰余価値の分配=領有関係であって、それは世界的規模での社会的分業体系の構造によって規定されるものだ。
世界的規模での社会的分業体系は、個別諸国家によって組織されたさまざまな障壁――国境体系、関税障壁、産業保護、経営体の国籍による商品や資本の運動の制限など――を突き抜けて作用している。というのも、各地で国民国家が形成されるずっと前から、ヨーロッパ遠距離貿易ないし世界貿易をつうじて諸地域のさまざまな産業が結びつけられ、食糧や原材料の調達供給経路とか農産物や製品の販売経路のネットワークが組織され、それは長い年月のあいだに累積し固定化=構造化され、各地の経済的再生産体系や統治構造を決定する支配=従属関係を打ち固めてしまったからだ。
かつてデイヴィッド・リカードウは国際貿易の比較優位理論において、18~19世紀のイングランドとポルトガルとの国際分業を、あたかも双方が意思的に合意しあって取り結んだ対等で互恵的
reciprocal な特産物の交換関係であるかのように、無邪気に定義した。
だが、リカードウが例にとったイングランドの工業製品とポルトガルのぶどう酒は、交換価格、交換比率においてポルトガルにきわめて不利に取引きされていた。現実の世界経済の交換システムは、工業製品の価値生産性をより高く評価し、農産物やその加工品の価値生産性をより低く評価する仕組みとして構造化されていた。したがって、ポルトゥガルからイングランドにかなりの量の「剰余価値」が移転していたのだ。それは構造的暴力 strukturelle Gewalt の体系なのだ。
比較優位理論は、すでに世界分業の頂点に君臨して、ヨーロッパや南北アメリカ、アジアの諸地域に対する経済的優越を確保し、不平等な「等価交換」によって搾取する――この支配と搾取には政府の政策や軍事行動が濃密に絡み合っていた――イングランドの共同主観だった。「通常の貿易関係」によって剰余価値がブリテンに移転流入する仕組みを無批判に前提していたのだ。
この時代、ブリテンは南アメリカやアジアの諸国に市場開放――「門戸開放}――のために砲艦外交 the gun-boat
diplomacy を展開した。ブリテンとの「自由貿易」を拒否する地域に対しては、艦隊を派遣して港湾や沿海都市に艦砲射撃による威嚇をおこない、市場開放を強制した。
もちろん、さらに踏み込んで軍事力を行使して植民地化や属領化を進めることもあった。だが、市場開放さえ実現し「ヨーロッパ近代文明」の栄光を見せつければ、ことさら軍事力による威嚇なしでも、文明の産物をほしがる相手に等価交換によって自国の工業製品を高く売りつけることができた。
自由貿易原則による取引関係には、資本の権力の作用として価値法則がはたらき、ブリテンに有利な交換価値・交換比率が成立したのだ。門戸を開放した諸地域からは、剰余価値がヨーロッパに流出することになった。
このような「自由な経済原理」による収奪や搾取を逃れるためには、そういう地域は政治的・軍事的に自立して国家を形成し関税障壁や産業保護政策を構築するしかなかった。
フランス王権やその影響下にあるエスパーニャによる軍事的圧迫に対処するために、ポルトゥガルはイングランドと同盟を結び、政治的に従属していて、関税障壁や産業保護政策を打ち立てる力能がなかった。イングランドから工業製品を輸入して、それと引き換えにぶどう酒や農産物を輸出するしかないポルトガルは、ヨーロッパの社会的分業体系のなかで従属的地位を割り当てられていたのだ。
しかし、周縁化または辺境化され経済的に従属する地域にとっては、域外の商業資本によって支配され掌握された総体としての再生産条件を組み換えていくためには、いくつもの歴史的な幸運が重なっても、途方もなく長い時間が必要だった。あの幸運なイングランドでさえ数世紀かかったのだ。その幸運は、結局のところ、強力な国民国家を形成できたということだった。多くの周縁地域では、君侯や王権の中央政府は弱体化し、解体していった。南イタリア、バルカン、ポーランドを見よ。
だが、世界経済の権力構造は歴史的に変化してきた。この変化を追跡するさいに、世界経済のなかで国民国家ないし国家というものがもつ独特の意味と役割に注目したい。それが私たちの立場だ。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成