第8章 中間総括と展望
この章の目次
経済的危機はネーデルラントの製造業をも直撃し、工房の職工や下層商人の生活を圧迫した。彼らの不満はカルヴァン派の浸透につながった。そこに、カスティーリャ王室財政の立て直しのために、エスパーニャのハプスブルク王権によってさらなる増税の追い討ちがかけられた。当時の都市財政の常として、間接税を中心とした増税は、所得の少ない下層民衆ほど圧迫が大きかった。ゆえに、諸都市では、宗派紛争と絡みついて職人層や下層民衆の騒擾と蜂起などの抵抗が続いた。
徴税と秩序維持のためにカスティーリャ王権はアルバ公をネーデルラントに派遣し、異端審問を強化して不穏な動きを鎮圧した。異端審問制度の拡張は在地教会の組織と運営の改変でもあった。王権は徴税組織だけでなく、教会組織(役員の選任と運営)さえ組み換え始めたのだ。だがそれは、これまで地方的支配層として特権を享受していた都市富裕層と在地貴族にとっては、これまで彼らの既得権益をやりたい放題に侵害してきたハプスブルク王権のさらなる拡張=集権化、つまり特権の切り崩しへの動きでもあった。
ついに地方支配層に指導された大規模な反乱が始まった。カルヴァン派は、この反乱をカトリックのエスパーニャ王権に対する闘争へとイデオロギー的(教義や倫理観、世界観をつうじて)に誘導した。
その頃、ネーデルラント北部諸都市の商業資本(富裕寡頭商人層)は、すでにバルト海貿易・海運での最優位を獲得し、また当時のヨーロッパで最も生産性の高い諸産業――高級毛織物、造船業、兵器製造、都市向け農産物栽培、漁獲と海産物加工など――を域内に育成、掌握し、イタリアやハンザの商人から世界貿易での指導力を奪いつつあった。このような力を背景に、反乱を起こした諸都市・州はそれぞれ独立の政治的・軍事的単位として振舞いながら、相互にゆるやかな同盟(ユトレヒト同盟)を結んで、エスパーニャ王権の介入を排除しようとした。
17世紀末までには、ユトレヒト同盟はその域内(北部諸州)からエスパーニャの軍事的・政治的影響力を駆逐した。だが、統合性の低いネーデルラント連邦が独立を確立できたのは、商業資本(諸州と諸都市)の政治的・経済的な凝集が当時としてはどこよりも強固であったことと、ヨーロッパ諸国家体系のなかでエスパーニャの勢力伸長をほとんどの有力王権が阻止しようとしていたからだった。
そして、何よりも北部諸州、とりわけアムステルダムには世界中から貨幣資本――決済や投資のための資金や貴金属、為替、公債、信用状など――が流れ込んだから、ネーデルラントの諸都市政府は専門の金融業者団体(銀行)をつうじて金融市場でいくらでも財政資金を調達できた。ユトレヒト同盟諸都市の政府は、レヘント層の指導下で、厳格な商業会計の原則によって財政が管理されていたため、借款・公債の返済管理が確立していて、どこよりも信用が大きかった。ゆえに、連邦や都市政府、ネーデルラント商人の世界市場運動を支援するための、軍事活動や政策運営に向けて、償還期間が長く低利の資金調達が可能だった。
それに対して、当時、ヨーロッパのあらゆる王権は、ごく貧弱な財政機構しか備えていなかった――歳入管理も歳出管理もきわめて大雑把で放漫状態だった。だから、軍事的・政治的な独立を維持するのに必要な財政資金を確保するために頭抜けた能力をもつユトレヒト同盟に、長期にわたって対抗できる勢力は皆無だった。戦争=軍事的闘争は、商業資本と製造業の育成にはすこぶる役立ったが、金融市場と王室財政とのリンクを構築できない政府にとっては最も消耗的な財政支出・浪費だったのだ。
世界経済における資本と国家、そして都市
第1篇
ヨーロッパ諸国家体系の形成と世界都市
補章-1
ヨーロッパの農村、都市と生態系
――中世中期から晩期
補章-2
ヨーロッパ史における戦争と軍事組織
――中世から近代
第3章
都市と国家のはざまで
――ネーデルラント諸都市と国家形成